長谷川逸子に輝いた、ロイヤル・アカデミー建築賞。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

長谷川逸子に輝いた、ロイヤル・アカデミー建築賞。

『カーサ ブルータス』2018年9月号より

建築界に多大なインパクトを残してきた建築家・長谷川逸子。その功績を讃え、英国「ロイヤル・アカデミー建築賞」が贈られました。

湘南台文化センター 1990 神奈川 コンペで勝ち取った初の公共建築。施設の多くを地下に埋め、地上部を原っぱのように開放。地球儀のようなプラネタリウムなど4種の球形施設があり、丘をイメージした小屋群がそれらをつなぐ。第二の自然を目指した意欲作。
湘南台文化センター 1990 神奈川 コンペで勝ち取った初の公共建築。施設の多くを地下に埋め、地上部を原っぱのように開放。地球儀のようなプラネタリウムなど4種の球形施設があり、丘をイメージした小屋群がそれらをつなぐ。第二の自然を目指した意欲作。photo_Shuji Yamada
イギリスの伝統と権威ある芸術組織〈ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ〉。芸術の推進や教育を目的に、選出された現役のトップ芸術家と建築家の主導でギャラリーや美術学院などを運営する組織だ。創設250年となる今年はデイヴィッド・チッパーフィールドによる大増改築で設備も拡張。それに伴い建築関係に力を入れる方針を打ち出した。その一環で「ロイヤル・アカデミー建築賞」が創設され、その名誉ある初回受賞者に長谷川逸子が選出された。
山梨フルーツミュージアム 1995 山梨 フルーツや花がテーマの公園内にあるコミュニケーション装置としての建築。ミュージアム、温室、レストランなどの機能を持つブリッジで接続された4つのドームからなる。ランドスケープと調和させながらランドマーク性も強調。photo_Mitsumasa Fujitsuka
新潟市民芸術文化会館 1998 新潟 コンサートホール、劇場、能楽堂などを群島のイメージで配置。ルーフガーデンなどにより建築をランドスケープと一体化させながら、各施設だけでなく、周辺のエリアとをつなぐようにデザイン。信濃川沿いの緑化も行われた。photo_Ekio Kamiya
ラポルトすず 2006 石川 能登半島の先端、珠洲市にある多目的ホール。地域に根ざした施設をも目指し、住民との共同で伝統や地域性を未来に継承する施設を設計。子どもたちとの対話から雲のような屋根を体現。地元特産の竹笛のミュージアムも併設。photo_Shigeru Ono
授賞理由は「建築界に大いなる刺激と永続的な貢献を与えながら、十分に評価がなされてこなかった」というもの。実際、80年代から90年代にかけて、長谷川の作品はヨーロッパの建築界で大いに注目されていた。「アイデアに満ちた大胆なデザインで私たちをワクワクさせてくれました」。長らく親交があるアーキグラムのピーター・クックは受賞講演で長谷川をこう紹介した。その当時、彼女はノーマン・フォスターやリチャード・ロジャース、ザハ・ハディッドらと並んで、コンペの常連だった。その一つが〈カーディフ・ベイ・オペラハウス〉だ。「最終候補に残り、一等になりかけましたが、歌舞伎の国の女にオペラがわかるのか、とフォスターが反対したそう」。国際コンペの一線で戦ってきた強い思いが伝わってくる。最終的にはザハが優勝しているが、結局奇抜すぎると廃案に追い込まれた。この一件で「アンビルトの女王」と揶揄されることになるザハも、白人男性が優位に立つ建築界で長らく戦ってきた同志だったのだ。今回の授賞には人種や性差別の撤廃をさらに進めようという意図もあるだろう。

ヨーロッパでは「アンビルト」のままの長谷川だが、日本には住宅や公共建築など作品は多数ある。菊竹清訓と篠原一男に師事後、独立。日本の民家を原点に環境との連続性や地域性を生かした「原っぱのような建築」を目指してきた。〈湘南台文化センター〉〈新潟市民芸術文化会館〉のように、ランドスケープを含めた「第二の自然」としての建築である。ダイナミックで未来的とも言える造形が特徴だが、そのルーツをたどると日本の民家に至るというのが興味深い。安藤忠雄、伊東豊雄と共に「平和な時代の野武士達」と言われる1941年生まれ。今回の受賞で、日本建築の幅広さが、さらに国際的に認知されることだろう。
長谷川逸子  1941年静岡県生まれ。関東学院大学、東京工業大学で建築を学ぶ。菊竹清訓、篠原一男の事務所に勤務後、79年長谷川逸子・建築計画工房を設立。公開コンペで優勝した 〈湘南台文化センター〉でブレイクする。ロンドン大学名誉学位ほか、受賞多数。

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