DESIGN
ペルソナ展とは何だったのか?
November 21, 2014 | Design | a wall newspaper | text_Mikado Koyanagi editor_Yuka Uchida
1965年、後の日本のグラフィック界を占うような、エポックメーキングな展覧会が開催されたのでした。
今から50年ほど前の1965年11月、日本のグラフィックデザイン史において、ひとつの「事件」となるような画期的な展覧会が、松屋銀座で開催された。わずか6日間で3万5000人を動員したというから、その反響の凄さがうかがえるというものだが、それが、今や伝説となった『ペルソナ』展だ。
参加したのは、当時あの早川良雄が「現在の日本を代表する中堅第一線の俊秀」と表現した、粟津潔、福田繁雄、細谷巖、片山利弘、勝井三雄、木村恒久、永井一正、田中一光、宇野亜喜良、和田誠、横尾忠則の11人。そこに、日本からは亀倉雄策、また海外からはルウ・ドーフスマン、ヤン・レニッツァ、カール・ゲルストナー、ポール・デイヴィスという錚々たる面々が招待作家として加わった。
参加したのは、当時あの早川良雄が「現在の日本を代表する中堅第一線の俊秀」と表現した、粟津潔、福田繁雄、細谷巖、片山利弘、勝井三雄、木村恒久、永井一正、田中一光、宇野亜喜良、和田誠、横尾忠則の11人。そこに、日本からは亀倉雄策、また海外からはルウ・ドーフスマン、ヤン・レニッツァ、カール・ゲルストナー、ポール・デイヴィスという錚々たる面々が招待作家として加わった。
中心となる11名は、そのころから現在に至るまで、まさに第一線で活躍してきたデザイナーばかりであることに驚かされるが、彼らは当時、最年長の粟津と最年少の横尾の間に7歳ほどの年の差はあっても、まだ皆30代前半くらいの新進気鋭の「若手」だったのだ。『ペルソナ』展の10年前に開催された、これまたデザイン史を画すような『グラフィック55』という展覧会に関わった、前述の早川や亀倉のような大御所たちに比べると、明らかに新しい世代の台頭を印象づけるような形になった。
彼らは、それに先立つ、60年の『世界デザイン会議』や64年の東京オリンピックのような国家的プロジェクトにおいても、すでに「若手」ながら活躍の場を与えられるような抜きん出た存在だった。しかし、そこで求められるデザインは、「ユニバーサル」と言えば聞こえがいいが、世界中の誰が見てもわかりやすい、ということは、言い方を変えれば、あまり個性が強く出すぎない、「無名性」を良しとするようなデザインで、もともとアーティスト気質の強い彼らは、こうした流れに強い抵抗を感じるようになっていた。
『ペルソナ』展は、まさに彼らのそうした異議申し立てから生まれた。彼らはそこで「無名性」ではなく「有名性」、むしろ表現者としての「個性」を強く打ち出したデザインを提唱したのだ。実際、そのときに展示された作品を見ると百花繚乱。各デザイナーが、自らの持ち味を最大限に生かした作品がずらりと並ぶ。さぞや、当時の展示会場は、そうした若い個性のぶつかり合いから生まれる強烈な熱気に包まれていたことだろう。その伝説の『ペルソナ』展を追体験できるような展覧会が、現在〈ギンザ・グラフィック・ギャラリー〉で開催中だ。半世紀たった今も、彼らの作品の孕む「時代の熱」のようなものは、いささかも衰えることがないということを、ぜひその目で感じていただきたい。
彼らは、それに先立つ、60年の『世界デザイン会議』や64年の東京オリンピックのような国家的プロジェクトにおいても、すでに「若手」ながら活躍の場を与えられるような抜きん出た存在だった。しかし、そこで求められるデザインは、「ユニバーサル」と言えば聞こえがいいが、世界中の誰が見てもわかりやすい、ということは、言い方を変えれば、あまり個性が強く出すぎない、「無名性」を良しとするようなデザインで、もともとアーティスト気質の強い彼らは、こうした流れに強い抵抗を感じるようになっていた。
『ペルソナ』展は、まさに彼らのそうした異議申し立てから生まれた。彼らはそこで「無名性」ではなく「有名性」、むしろ表現者としての「個性」を強く打ち出したデザインを提唱したのだ。実際、そのときに展示された作品を見ると百花繚乱。各デザイナーが、自らの持ち味を最大限に生かした作品がずらりと並ぶ。さぞや、当時の展示会場は、そうした若い個性のぶつかり合いから生まれる強烈な熱気に包まれていたことだろう。その伝説の『ペルソナ』展を追体験できるような展覧会が、現在〈ギンザ・グラフィック・ギャラリー〉で開催中だ。半世紀たった今も、彼らの作品の孕む「時代の熱」のようなものは、いささかも衰えることがないということを、ぜひその目で感じていただきたい。
激動の戦後ニッポンデザイン史
1951年 日本宣伝美術会 創設
1955年 『グラフィック55』展 開催
1960年 日本初の国際デザイン会議『東京世界デザイン会議』開催
1964年 東京オリンピック 開催
1965年 『ペルソナ』展 開催
1969年 武蔵野美術大学の学生らが立ち上げた「日宣美粉砕共闘」が、第19回日宣美展覧会の審査会に乱入。
1970年 日本宣伝美術会 解散、大阪万博 開催
1955年 『グラフィック55』展 開催
1960年 日本初の国際デザイン会議『東京世界デザイン会議』開催
1964年 東京オリンピック 開催
1965年 『ペルソナ』展 開催
1969年 武蔵野美術大学の学生らが立ち上げた「日宣美粉砕共闘」が、第19回日宣美展覧会の審査会に乱入。
1970年 日本宣伝美術会 解散、大阪万博 開催
『〈ペルソナ〉50年記念展 Persona 1965』〈ギンザ・グラフィック・ギャラリー〉
~11月27日。武蔵野美術大学 美術館・図書館所蔵の資料をもとに再構成。
●東京都中央区銀座7-7-2 TEL 03 3571 5206。11時〜19時(土〜18時)。日曜・祝日休。公式サイト