DESIGN
『民藝の100年』展に見る、デザインとしての民藝運動|土田貴宏の東京デザインジャーナル
January 28, 2022 | Design, Art, Culture | casabrutus.com | photo_Shin-ichi Yokoyama text_Takahiro Tsuchida
東京国立近代美術館の『民藝の100年』が話題になっている。圧倒的なボリュームで民藝の美しい「もの」を紹介すると同時に、この運動にまつわる豊かなストーリーを伝える貴重な展覧会だ。
柳宗悦没後60年記念展『民藝の100年』が〈東京国立近代美術館〉で開催されている(〜2022年2月13日)。従来、民藝をテーマにした催しは、創始者である柳宗悦の眼力や思想にフォーカスするものが大半だった。それに対して今回の展覧会では、このムーブメントにまつわる多様な試みや社会背景を俯瞰的にとらえたのが特徴だ。展示総数450点以上という圧倒的なボリュームに加えて、当時から現在に続くさまざまなストーリーを伝えている。
民藝という言葉が初めて生まれたのは1925年。後に日本民藝館の初代館長になる柳宗悦と、同志である陶芸家の濱田庄司や河井寬次郎が木喰仏(江戸時代後期の木喰上人による木彫りの仏像)を求めて旅する途中、彼らの会話の中でこの言葉が現れたという。
民藝とは「民衆的工藝」、つまり無名の職人たちが手作りする、大衆向けの日用品を主に指す言葉だ。彼らはそこに、趣向を凝らした伝統工芸や限られた人々に向けた美術品にはない、健やかな美しさを見出したのだった。
展覧会は、そんな彼らが出会う以前、柳が同人として参加した文芸雑誌『白樺』にまつわるエピソードから始まる。
民藝とは「民衆的工藝」、つまり無名の職人たちが手作りする、大衆向けの日用品を主に指す言葉だ。彼らはそこに、趣向を凝らした伝統工芸や限られた人々に向けた美術品にはない、健やかな美しさを見出したのだった。
展覧会は、そんな彼らが出会う以前、柳が同人として参加した文芸雑誌『白樺』にまつわるエピソードから始まる。
1910年代、『白樺』が彫刻家オーギュスト・ロダンを特集した縁で、彼から贈られたロダンの彫刻が柳の家にあった。それを見るため家を訪ねた朝鮮在住の浅川伯教は、土産として小さな壺を持参する。柳が「陶磁器の美に開眼する契機となった」というその壺《染付秋草文面取壺》(瓢形瓶部分)や、きっかけになったロダンによる彫像も、最初のセクションに展示されている。当時の柳は、後に民藝運動に加わるバーナード・リーチの影響もあり、詩人のウィリアム・ブレイクはじめヨーロッパの芸術思想に造詣を深めていた。
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illustration Yoshifumi Takeda
土田貴宏
つちだ たかひろ デザインジャーナリスト、ライター。家具やインテリアを中心に、デザインについて雑誌などに執筆中。学校で教えたり、展示のディレクションをすることも。
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