ART
ロックダウン日記:〈バルセロナ現代美術館〉による、アートのある日常。
June 9, 2020 | Art | casabrutus.com | text_Tomoko Sakamoto
バルセロナでロックダウンが始まった3月16日、〈バルセロナ現代美術館〉のキュレーター達が1日1作品を紹介する『ロックダウン日記』という名のオンラインプロジェクトを立ち上げた。
COVID-19による本格的なロックダウンが始まり、街中のミュージアムが閉ざされた最初の月曜日である2020年3月16日、〈バルセロナ現代美術館(MACBA)〉のキュレーターたちはひとつの小さなプロジェクトをオンラインで開始した。休館される期間はとりあえず2週間ほどとの発表にとどまり、まだ「ロックダウン」という言葉すら浸透していなかった頃である。
「美術館に来られないみなさんの生活に、アートが寄り添えるように」と語るそのサイトには、〈バルセロナ現代美術館〉が所有するコレクションの中から毎日1作品(あるいはシリーズ)が数行のコメントと共に公開されていった。1日目はピーター・フリードルの《プレイ・グラウンド》。世界中の公園で子供たちが遊ぶ写真のコレクションは“今日私たちの街から消えたもの”だった。12日目には、私たちが今閉じ込められている「家」の肖像が集められ、その中にはゴードン・マッタ=クラークによって分断された家も含まれていた。
「美術館に来られないみなさんの生活に、アートが寄り添えるように」と語るそのサイトには、〈バルセロナ現代美術館〉が所有するコレクションの中から毎日1作品(あるいはシリーズ)が数行のコメントと共に公開されていった。1日目はピーター・フリードルの《プレイ・グラウンド》。世界中の公園で子供たちが遊ぶ写真のコレクションは“今日私たちの街から消えたもの”だった。12日目には、私たちが今閉じ込められている「家」の肖像が集められ、その中にはゴードン・マッタ=クラークによって分断された家も含まれていた。
21日目、フレデリック・アマットのキャベツの葉を使ったパフォーマンス写真が「想像力と身近なもので自由にアートが作れる」ことを証明したかと思えば、24日目のアンリ・ミショーは、病床にある人間の孤独や、彼らに投与される薬が見せる幻覚が私たちの自由を奪い、脅迫的にものを作らせる力があることを示した。監禁、病床、孤独、隔離、内省、想像力、ユートピア、ディストピア、命の脆さといったさまざまなテーマの作品が取り上げられたが、ついに56日目の5月17日、全面的なロックダウンが解除されて人々の「散歩」が許可されるようになった日に、この日記は閉じられた。ジョアン・ブロッサの作品が「もう二度と帰らないこれらの日々」を呼び起こし、「アートは私たちの人生を理解する手助けになると信じています」と締めくくられていた。
ロックダウン期間中、ニュースでは仕事を失ったアーティストたちへの生活補償問題が取り上げられ、同時に家に居ながらアートを楽しめるオンライン企画があちこちで行われていた。そんな中でこのプロジェクトは、さまざまな不安や思いが広がっていく現在進行形の日常を、アート作品を通して見ることによって「なぜアートが社会にとって必要なのか」を一つひとつ具体的に教えてくれる試みだったように思う。つまるところ、アートとはそこにある絵やオブジェというよりも、私たち鑑賞者がそこから受け取る何かなのであり、見る者、見る時代によってその意味や強度を変えうる鏡のようなものなのだ。
ミュージアムが再開したら、私たちはきっと以前とは違うものを作品の中に見るだろう。そしてアーティストたちも、以前とは違うものを作品の中に表現しようとするかもしれない。新しい日常のミュージアム訪問が、今から楽しみである。
ミュージアムが再開したら、私たちはきっと以前とは違うものを作品の中に見るだろう。そしてアーティストたちも、以前とは違うものを作品の中に表現しようとするかもしれない。新しい日常のミュージアム訪問が、今から楽しみである。
『ロックダウン日記』
〈バルセロナ現代美術館〉の公式サイトにて3月16日〜5月17日に開催。作品はアーカイブとして閲覧可能。