TRAVEL
追悼マデ・ウィジャヤ バリ島を拠点に活躍した「アジアの庭」の立役者。
October 24, 2016 | Travel, Architecture | a wall newspaper | photo_Richard Powers (Amandari) text_Reiko Kasai
“バリ・マジック”の立役者、トロピカルガーデンデザイナーのパイオニアと言われるマデ・ウィジャヤの急逝を悼む。
バリ島を拠点に、トロピカルリゾートのガーデンデザイナーとして広く知られるマデ・ヴィジャヤが、出身地であるシドニー滞在中に急逝した。63歳。バリ島のセレブ界の重鎮として、ユーモアと毒舌にあふれるカラフルで賑やかなパーソナリティーでも知られたマデ。死の数日前までアクティブにソーシャルメディアで情報発信を行っていた彼の突然の訃報に周囲は茫然とし、世界中から涙のメッセージが寄せられた。
本名はマイケル・ホワイト。1973年、オーストラリアで建築学科の学生だった20歳のとき、船でバリ島にたどり着く。土地の魅力に引き寄せられ、そのままバリが住処となった。テニスコーチや観光ガイドをしながら食いつなぎ、やがて島内のガーデンデザインを手掛けるようになる。イングリッシュガーデンの秩序にトロピカルな植栽を合わせ、そこにバリの伝統工芸を駆使して制作したランタンや彫刻といったオブジェで彩る。彼のセンスが、その後バリ島を語るときに誰もが想像する“バリ・スタイル”を作り上げた大きな牽引力になった。ハイアット、ブルガリ リゾート、アマン、フォーシーズンズなどアジアの高級リゾートのデザインに関わり、デヴィッド・ボウイのカリブの別荘など、生涯に手掛けたガーデンの数は600を超える。
本名はマイケル・ホワイト。1973年、オーストラリアで建築学科の学生だった20歳のとき、船でバリ島にたどり着く。土地の魅力に引き寄せられ、そのままバリが住処となった。テニスコーチや観光ガイドをしながら食いつなぎ、やがて島内のガーデンデザインを手掛けるようになる。イングリッシュガーデンの秩序にトロピカルな植栽を合わせ、そこにバリの伝統工芸を駆使して制作したランタンや彫刻といったオブジェで彩る。彼のセンスが、その後バリ島を語るときに誰もが想像する“バリ・スタイル”を作り上げた大きな牽引力になった。ハイアット、ブルガリ リゾート、アマン、フォーシーズンズなどアジアの高級リゾートのデザインに関わり、デヴィッド・ボウイのカリブの別荘など、生涯に手掛けたガーデンの数は600を超える。
バリ随一の老舗高級住宅地のサヌールの一角にあるマデの事務所兼自邸〈ヴィラ・ベベック〉は、伝統的なバリの別棟式住宅を彼のワンダーランドに仕立て上げたバリ島の文化サロンだった。世界中から訪れるビジターを迎え、プールサイドからバルコニー、2階のテラスと、そのときの天気や気分でセッティングされる宴が昼となく夜となく催された。
バリ島の文化や地域の遺産の深遠なる擁護者でもあった彼は執筆家としても知られ、出版物も多い。まだ進行中のプロジェクトがたくさんあったはずで悲しい。
バリ島の文化や地域の遺産の深遠なる擁護者でもあった彼は執筆家としても知られ、出版物も多い。まだ進行中のプロジェクトがたくさんあったはずで悲しい。
マデ・ヴィジャヤ
バリ、インド、モロッコ、メキシコなどでホテルや住宅の庭を手掛けた。バリでは職人など500人のスタッフを抱え、伝統文化の擁護者としても知られた。右は長年担当したコラム「ストレンジャーインパラダイス」の抜粋本『The Best of Stranger in Paradise 1996-2008』(Wijaya Words)。