CULTURE
写真家・鈴木理策が選ぶ、視点を磨く建築写真集10選(海外作家編)。
May 3, 2022 | Culture | casabrutus.com | photo_Masayuki Nakaya text_Yoshinao Yamada
建築は現代写真における重要なモチーフの一つだ。一方で、記録としての建築写真も写真における重要なジャンルの一つとして確立されている。作家性の強い前者と客観性の高い後者は時にその境界を曖昧にしながら、ともに歴史を重ねてきた。今回は国外作家における建築をテーマにした写真集を、自身も建築をモチーフとした作品を発表する写真家の鈴木理策さんに選んでもらった。
建築写真とはなにか。鈴木はまず、「建築写真は写真がもつ記録性がとくに有効に働くジャンル」であると語り始めた。保存性の高い写真は、建築そのものよりも長く残ることが多い。それゆえ写真は建築をある意味で助け、両者はある種の共犯関係をもっているのではないだろうかと続ける。
「建築写真は、いかに多くの情報を取り込むかが目的化されてしまったきらいもあります。空間を記録するという目的から自ずと撮影する視点も定まってしまい、画面になるべく多くの情報を取り上げようとする。これが、表現として写真を撮影する作家が取り上げる建築との大きな違いです。作家は優先する部分が異なるため、写真表現の幅も広く、写真として面白いものも生まれやすい。そもそも建築写真をどう捉えるかは難しく、今回は19世紀から時系列的に、かつ個人的な経験と写真史的な意味合いの両面から選びました」
「建築写真は、いかに多くの情報を取り込むかが目的化されてしまったきらいもあります。空間を記録するという目的から自ずと撮影する視点も定まってしまい、画面になるべく多くの情報を取り上げようとする。これが、表現として写真を撮影する作家が取り上げる建築との大きな違いです。作家は優先する部分が異なるため、写真表現の幅も広く、写真として面白いものも生まれやすい。そもそも建築写真をどう捉えるかは難しく、今回は19世紀から時系列的に、かつ個人的な経験と写真史的な意味合いの両面から選びました」
■ 写真草創期にいち早く記録性に着目
鈴木がまず手にしたのは、2001年から2002年に巡回された『マクシム・デュ・カン —150年目の旅—』展の図録だ。フランス人文学者のデュ・カンは世界初の紀行写真集『エジプト・ヌビア・パレスチナ・シリア』を出版した人物で、図録はその写真集を模している。
ナポレオンのエジプト遠征をきっかけにヨーロッパではエジプトへの関心が高まり、絵画ではオリエンタリズムが流行する。文学者もまたオリエントに思いを馳せ、若きデュ・カンは『ボヴァリー夫人』で知られるギュスターヴ・フローベルとともに現地を旅し、登場間もないカメラをもって遺跡や風景を写真に収めた。
およそ1年にわたる旅で2000枚におよぶ写真を撮影し、そのうち125点を選んで写真集を発表。デュ・カンが撮影を行ったのは1849年。世界初の実用的な写真撮影法であるダゲレオタイプが発明された1839年からわずか10年後だと、鈴木は指摘する。
「写真が発明された最初期に、いち早く未知の風景や構造物を記録した写真です。スケールがわかるように撮影を行い、遺跡が砂で埋もれていた状況まで捉えています。当時はその場でガラスの乾板に薬剤を塗り、それが濡れている状態で即時に撮影を行っていました。機材を運ぶのは非常に大変ですし、思うように撮れているかもわからない。即時性はないのですが、結果としてストレートな表現につながっています。
構図は明快で、建造物の大きさや状況などの情報を現在に伝えます。碑文なども細部まで撮影しており、大判フィルムで撮影された写真らしい情報量があります。デュ・カンの写真は図らずも、写真がもつ記録性に着目した起点とも言えるでしょう。当時は撮影者が多くの人々に代わって、なにかを見てくるという側面がありました。結果、主観を排した客観的な写真が撮影されます。もっとも当時は主観的に写真を撮影しようという意識すらもなかったのではないかと思いますが」
ナポレオンのエジプト遠征をきっかけにヨーロッパではエジプトへの関心が高まり、絵画ではオリエンタリズムが流行する。文学者もまたオリエントに思いを馳せ、若きデュ・カンは『ボヴァリー夫人』で知られるギュスターヴ・フローベルとともに現地を旅し、登場間もないカメラをもって遺跡や風景を写真に収めた。
およそ1年にわたる旅で2000枚におよぶ写真を撮影し、そのうち125点を選んで写真集を発表。デュ・カンが撮影を行ったのは1849年。世界初の実用的な写真撮影法であるダゲレオタイプが発明された1839年からわずか10年後だと、鈴木は指摘する。
「写真が発明された最初期に、いち早く未知の風景や構造物を記録した写真です。スケールがわかるように撮影を行い、遺跡が砂で埋もれていた状況まで捉えています。当時はその場でガラスの乾板に薬剤を塗り、それが濡れている状態で即時に撮影を行っていました。機材を運ぶのは非常に大変ですし、思うように撮れているかもわからない。即時性はないのですが、結果としてストレートな表現につながっています。
構図は明快で、建造物の大きさや状況などの情報を現在に伝えます。碑文なども細部まで撮影しており、大判フィルムで撮影された写真らしい情報量があります。デュ・カンの写真は図らずも、写真がもつ記録性に着目した起点とも言えるでしょう。当時は撮影者が多くの人々に代わって、なにかを見てくるという側面がありました。結果、主観を排した客観的な写真が撮影されます。もっとも当時は主観的に写真を撮影しようという意識すらもなかったのではないかと思いますが」
■ 精緻なプリントで記録性を超えた表現に到達
続けて取り上げるのは、プラチナプリントによる精緻な表現で知られるイギリス人写真家のフレデリック・H・エヴァンスによる写真集だ。大聖堂を撮影したこの一冊を、学生時代に図書館でよく眺めたと鈴木はいう。編集を手がけているのは、ニューヨーク近代美術館写真部門の初代ディレクターも務めた写真史家のボーモント・ニューホールだ。
「エヴァンスはプラチナプリントの品質にこだわった人物で、それが写真表現において重要であることを提示した草分けとも言える存在です。ヨーロッパの明け方に感じる湿り気のある空気のようなものが写真を覆い、幻想的でありながら強いリアリティも感じさせます。彼は大聖堂を撮影するために2週間も滞在し、ステンドグラスや窓から入る光の具合を選び抜いて撮影しています。
当時は写真がもつドキュメンタリー性の価値に重きが置かれる以前で、写真が絵画に近づこうとした時代。印画紙に筆の跡をつけるなど、写真に手を加えるようなことが行われていたのですがエヴァンスはそれを嫌った。だからこそ最も難しいストレートな表現に挑んでいます。
その写真を近代写真の父と言われるアルフレッド・スティーグリッツが高く評価し、自身がもつニューヨークのギャラリーで展覧会を開き、発行していた機関誌『カメラ・ワーク』にも掲載したほどです。エヴァンス、そしてデュ・カンの写真には根底に記録というテーマがありながらも、そこからあふれ出すものを感じるのです」
「エヴァンスはプラチナプリントの品質にこだわった人物で、それが写真表現において重要であることを提示した草分けとも言える存在です。ヨーロッパの明け方に感じる湿り気のある空気のようなものが写真を覆い、幻想的でありながら強いリアリティも感じさせます。彼は大聖堂を撮影するために2週間も滞在し、ステンドグラスや窓から入る光の具合を選び抜いて撮影しています。
当時は写真がもつドキュメンタリー性の価値に重きが置かれる以前で、写真が絵画に近づこうとした時代。印画紙に筆の跡をつけるなど、写真に手を加えるようなことが行われていたのですがエヴァンスはそれを嫌った。だからこそ最も難しいストレートな表現に挑んでいます。
その写真を近代写真の父と言われるアルフレッド・スティーグリッツが高く評価し、自身がもつニューヨークのギャラリーで展覧会を開き、発行していた機関誌『カメラ・ワーク』にも掲載したほどです。エヴァンス、そしてデュ・カンの写真には根底に記録というテーマがありながらも、そこからあふれ出すものを感じるのです」
■ 「その時」を映した、都市を見る視点
続く一冊はアメリカの写真家、ベレニス・アボットが1930年代の激変するニューヨークの風景を撮影した写真集『Changing New York』の復刻版だ。
彼女はマルセル・デュシャンの紹介でマン・レイと出会い、彫刻家を目指してヨーロッパに滞在していた際に彼のスタジオで写真を始めた。1929年にニューヨークへ戻ると激変する街の風景に興味をもち、1935年から1939年まで、アメリカ政府が行った芸術家支援事業である連邦美術計画「変わりゆくニューヨーク」に参加。本書はそれらの風景を含め、淡々と変貌するニューヨークを取り上げる。
鈴木はまず、アボットに影響を与えたフランス人写真家、ウジェーヌ・アジェに注目したいという。アジェはシューレアリストの画家たちを中心に、彼らの資料となるパリの風景を撮影した作品で知られる写真家だ。その作品には「静寂が写っています」と鈴木。
アボットはマン・レイのもとでアジェと出会い、彼の死後には作品をニューヨーク近代美術館に収集させることで散逸を防いだ。両者はともに、都市という建築写真における重要な要素に目を向けた写真家であると言えるだろう。
「アボットの作品は、特にモチーフの選び方にアジェからの影響が見えます。しかしアジェの写真には場所の記憶や堆積した時間が染み出ているのに対し、アボットの写真にはその時というめまぐるしい変化を撮影したという印象を受けます。これが写真家としての違いなのか、パリとニューヨークという街の差によるものなのかはわかりませんが、その違いに注目したい。
アボットの写真には、自分をもっと出すべきか記録的に撮るか、その狭間で揺れている印象もあります。本を見終えたときにニューヨークという街の印象は残りますが、一枚の写真として強烈な印象を残すのはアジェの作品。ここに建築写真と作品としての写真の違いがあります。どちらが正しいというのではなく、変わりゆく街というテーマゆえ、アボットの作品は写真そのものではなく、時代や建物に目がいきます。
一方で彼女のこうした視点はウォーカー・エヴァンスらに受け継がれ、さらにロバート・フランクに繋がっていく。アジェがフランクに繋がるというのはいささか乱暴ですが、写真には次の世代へと伝播するなにかがあります。一方、先の世代は後進に影響を与えるとは意識をしない。写真には、そうした無意識に次世代へヒントを与え続けるという側面もあるのです」
彼女はマルセル・デュシャンの紹介でマン・レイと出会い、彫刻家を目指してヨーロッパに滞在していた際に彼のスタジオで写真を始めた。1929年にニューヨークへ戻ると激変する街の風景に興味をもち、1935年から1939年まで、アメリカ政府が行った芸術家支援事業である連邦美術計画「変わりゆくニューヨーク」に参加。本書はそれらの風景を含め、淡々と変貌するニューヨークを取り上げる。
鈴木はまず、アボットに影響を与えたフランス人写真家、ウジェーヌ・アジェに注目したいという。アジェはシューレアリストの画家たちを中心に、彼らの資料となるパリの風景を撮影した作品で知られる写真家だ。その作品には「静寂が写っています」と鈴木。
アボットはマン・レイのもとでアジェと出会い、彼の死後には作品をニューヨーク近代美術館に収集させることで散逸を防いだ。両者はともに、都市という建築写真における重要な要素に目を向けた写真家であると言えるだろう。
「アボットの作品は、特にモチーフの選び方にアジェからの影響が見えます。しかしアジェの写真には場所の記憶や堆積した時間が染み出ているのに対し、アボットの写真にはその時というめまぐるしい変化を撮影したという印象を受けます。これが写真家としての違いなのか、パリとニューヨークという街の差によるものなのかはわかりませんが、その違いに注目したい。
アボットの写真には、自分をもっと出すべきか記録的に撮るか、その狭間で揺れている印象もあります。本を見終えたときにニューヨークという街の印象は残りますが、一枚の写真として強烈な印象を残すのはアジェの作品。ここに建築写真と作品としての写真の違いがあります。どちらが正しいというのではなく、変わりゆく街というテーマゆえ、アボットの作品は写真そのものではなく、時代や建物に目がいきます。
一方で彼女のこうした視点はウォーカー・エヴァンスらに受け継がれ、さらにロバート・フランクに繋がっていく。アジェがフランクに繋がるというのはいささか乱暴ですが、写真には次の世代へと伝播するなにかがあります。一方、先の世代は後進に影響を与えるとは意識をしない。写真には、そうした無意識に次世代へヒントを与え続けるという側面もあるのです」
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