ART
固定観念から解き放たれた先にある表現。開催中の『ポコラート世界展』とは?
August 10, 2021 | Art | casabrutus.com | photo_MIAYJIMA Kei text_Akiko Miyaura editor_Keiko Kusano
世界22ヵ国、50名の作家による作品240点余りを独自の視点でキュレーションした、『ポコラート世界展「偶然と、必然と、」』が〈アーツ千代田 3331〉で開催中。本展覧会の作品のうち約65点が、会期終了後、フランスの〈ポンピドゥ・センター〉に収蔵されることが決まっているという注目の展覧会です。国や年齢、性別はもちろん、障害の有無も、そして時空をも超えた熱量の高い作品が並ぶ本展の模様をレポートします。
「この展覧会の作品は、障害者アートなのかと問われたら、私はNOと答えます」。
芸術人類学を専門とするキュレーターの嘉納礼奈は、真っすぐにそう語った。身体、ないしは精神になにかしらの障害を持つという作者の社会的素性で、作品を隔離することも、「障害があるのに」と特別視することも必要ない。
美術の文脈では、自身の内側から湧き上がる衝動に従い、自由に表現したアートを「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」といった用語で説明することがある。けれど、今回の展覧会ではそういった既存の言葉は使わず、〈アーツ千代田 3331〉独自の概念を表す「ポコラート」という言葉で表現している。
「ポコラート」とは"Place of Core+Relation ART"の略で、〈アーツ千代田 3331〉が開館から10年以上にわたり、「障害の有無に関わらず人々が出会い、相互に影響し合う場」、またその「場」を作っていく行為をそう呼び、実際に地道に公募や展覧会で実施してきたものだ。
そのポコラート事業10周年を記念した本展は、障害の有無で人をラベリングするのではなく、「人生」はすべての人に平等に与えられた時間である、そして誰しもが乗り越えなければならない人生のハードルを持つ、という普遍的な原則が出発点になっている。
展覧会は6章で構成され、「わたし」という存在から、徐々にその射程距離を広げていく。すべてに共通しているのは、“偶然、あるいは必然”ともいうべき出来事に遭遇し、人生を歩んできた人々の作品であること。苦悩し、試行錯誤しながら乗り越えようとする、そのときに手段として創作があったのだ。
芸術人類学を専門とするキュレーターの嘉納礼奈は、真っすぐにそう語った。身体、ないしは精神になにかしらの障害を持つという作者の社会的素性で、作品を隔離することも、「障害があるのに」と特別視することも必要ない。
美術の文脈では、自身の内側から湧き上がる衝動に従い、自由に表現したアートを「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」といった用語で説明することがある。けれど、今回の展覧会ではそういった既存の言葉は使わず、〈アーツ千代田 3331〉独自の概念を表す「ポコラート」という言葉で表現している。
「ポコラート」とは"Place of Core+Relation ART"の略で、〈アーツ千代田 3331〉が開館から10年以上にわたり、「障害の有無に関わらず人々が出会い、相互に影響し合う場」、またその「場」を作っていく行為をそう呼び、実際に地道に公募や展覧会で実施してきたものだ。
そのポコラート事業10周年を記念した本展は、障害の有無で人をラベリングするのではなく、「人生」はすべての人に平等に与えられた時間である、そして誰しもが乗り越えなければならない人生のハードルを持つ、という普遍的な原則が出発点になっている。
展覧会は6章で構成され、「わたし」という存在から、徐々にその射程距離を広げていく。すべてに共通しているのは、“偶然、あるいは必然”ともいうべき出来事に遭遇し、人生を歩んできた人々の作品であること。苦悩し、試行錯誤しながら乗り越えようとする、そのときに手段として創作があったのだ。
第1章のタイトルは、「宇宙のこころ[内なる人格と仮面]」。内側から感じる「わたし」、外側の社会を通して見る「わたし」。さまざまな自分と出会ったとき、どう捉えるのかをテーマにしている。
展覧会の始まりとなるのが、トマシュ・マフチンスキの作品《無題》。彼が50年以上に渡り、あらゆる人物に扮して撮影し続けてきたポートレートが壁一面を彩る。カツラや特殊メイクなどは一切使わず、自らの体ですべてを体現しているのだが、その眼差し、笑顔、ポーズ、何をとっても扮した人物そのものだ。
孤児院で育ったマフチンスキは慈善団体の計らいにより、とあるハリウッド女優と文通をしていたという。彼女を実の母だと信じていたがのちに出自を知り、その日から彼のアイデンティティーは崩壊。そして、何者にもなれる、何者でもないかもしれないという思いが、今もなお創作の衝動へと繋がっている。このように背景にあるその人だけのストーリーを知ることで、作品世界はより深く見る人の心に刺さる。
展覧会の始まりとなるのが、トマシュ・マフチンスキの作品《無題》。彼が50年以上に渡り、あらゆる人物に扮して撮影し続けてきたポートレートが壁一面を彩る。カツラや特殊メイクなどは一切使わず、自らの体ですべてを体現しているのだが、その眼差し、笑顔、ポーズ、何をとっても扮した人物そのものだ。
孤児院で育ったマフチンスキは慈善団体の計らいにより、とあるハリウッド女優と文通をしていたという。彼女を実の母だと信じていたがのちに出自を知り、その日から彼のアイデンティティーは崩壊。そして、何者にもなれる、何者でもないかもしれないという思いが、今もなお創作の衝動へと繋がっている。このように背景にあるその人だけのストーリーを知ることで、作品世界はより深く見る人の心に刺さる。
第2章「宇宙のうごき[行為からかたちへ]」では、「私」と物質との出会いによって生まれたかたち、貼る、重ねる、挿す、巻くなど生活や職における必然的な行為から派生した、思いもよらないかたちの数々が展示されている。
山形県に住む武田拓の作品《はし》は、割りばしを集めて牛乳パックに入れる仕事をしていた作者が、その動作、行為に夢中になるあまり、いつしか高く高く積み上がり、ひとつの作品へと昇華した。ベルギー在住のローラ・デルヴォーの作品は、石膏のイエス・キリスト像やマリア像が裸ではかわいそうだから、と布や糸を巻く、包むとい行為を繰り返した末に生まれたもの。よく見ると、息ができるように鼻の部分は必ず開けられている。
山形県に住む武田拓の作品《はし》は、割りばしを集めて牛乳パックに入れる仕事をしていた作者が、その動作、行為に夢中になるあまり、いつしか高く高く積み上がり、ひとつの作品へと昇華した。ベルギー在住のローラ・デルヴォーの作品は、石膏のイエス・キリスト像やマリア像が裸ではかわいそうだから、と布や糸を巻く、包むとい行為を繰り返した末に生まれたもの。よく見ると、息ができるように鼻の部分は必ず開けられている。
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