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村野藤吾の一脚の椅子から始まった〈イデー〉の「JAPANESE MODERN MASTER」その魅力に迫る。
| Design, Architecture | PR | photo_Masaki Ogawa text_Mariko Uramoto editor_Keiko Kusano styling_Tomomi Nagayama
村野藤吾や倉俣史朗、長大作など、日本を代表する建築家やデザイナーが手がけた名作を復刻する〈イデー〉の「ジャパニーズ モダン マスター」シリーズ。このプロジェクトは、村野藤吾が手がけた一脚の椅子との出会いをきっかけに始まりました。オフィスや商業空間など特定の空間のためにデザインされた特別な家具を、現代の私たちの生活に息づく家具として復刻するには何が必要だったのか。最初にプロジェクトに関わった〈MURANO design〉代表・村野永さんと、元〈イデー〉デザインマネージャーの深田新さんに当時の話を伺いました。
「生活の探究」をテーマに掲げる〈イデー〉。創業以降、時代の最先端を走るデザイナーやアーティストのプロダクトを紹介しながら、時代を超えて愛される真のスタンダードを模索。その中で、1950〜80年代に生まれた日本のモダンデザインに注目するように。時代の波に埋もれてしまっていた建築家やデザイナーの名作を発掘・再評価するため、2007年にスタートしたプロジェクトが「ジャパニーズ モダン マスター」だ。
このプロジェクトを始動するきっかけの一つとなったのが、村野藤吾が都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)のために手がけたラウンジチェア。体を優しく包み込むような緩やかな曲線美とコンパクトなサイズのソファは、ホテルという限られた場所でひっそりと愛され続けてきた。一般には流通していなかったため、当時〈イデー〉でデザインマネージャーを務めていた深田新さんもその存在を知らなかったという。
このプロジェクトを始動するきっかけの一つとなったのが、村野藤吾が都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)のために手がけたラウンジチェア。体を優しく包み込むような緩やかな曲線美とコンパクトなサイズのソファは、ホテルという限られた場所でひっそりと愛され続けてきた。一般には流通していなかったため、当時〈イデー〉でデザインマネージャーを務めていた深田新さんもその存在を知らなかったという。
「京都工芸繊維大学時代の恩師・竹内次男先生の研究室に伺った時、廊下にひときわ目を引く椅子があったんです。気になって尋ねてみると、“これは村野藤吾先生がデザインされた椅子だよ!”と言われて、驚きました。関係者から譲り受けたものらしく、古びてはいたのですが、モダニズム的意匠を基調としながら愛らしさがあって、現代(2000年代当時)の生活空間にも自然となじみそうだと感じました。それで〈イデー〉で復刻できないかと相談したところ、竹内先生が親交のある村野藤吾のお孫さんである村野永(ひさし)さんを紹介してくださいました」(深田新)
不思議な縁がつながり、深田さんから復刻のオファーを聞いた永さんは当時のことをこう振り返る。
「祖父が手がけた建物が、時代の変遷とともに取り壊されたり、竣工当初に意図したものと全く違ったものに変わることが増える中で、どうにかして彼のものづくりに対する思いを残せないかずっと考えていました。細部に至るまでデザインにこだわりぬく姿勢や、部材一つひとつを人間の手で作り上げるヒューマニズムを基調とした世界観、そういったことが次世代に残せないかと。だから、〈イデー〉から復刻の話をいただいて、家具を通じて祖父の思いを伝えられるのではと思い、率直にうれしかったですね」(村野永)
深田さんが一目惚れした〈ミヤコ ラウンジチェア〉とともに、村野藤吾が千代田生命本社ビル(現・目黒区総合庁舎)の役員室のためにデザインした〈チヨダ ソファ〉の復刻に向け、歩みが始まった。
不思議な縁がつながり、深田さんから復刻のオファーを聞いた永さんは当時のことをこう振り返る。
「祖父が手がけた建物が、時代の変遷とともに取り壊されたり、竣工当初に意図したものと全く違ったものに変わることが増える中で、どうにかして彼のものづくりに対する思いを残せないかずっと考えていました。細部に至るまでデザインにこだわりぬく姿勢や、部材一つひとつを人間の手で作り上げるヒューマニズムを基調とした世界観、そういったことが次世代に残せないかと。だから、〈イデー〉から復刻の話をいただいて、家具を通じて祖父の思いを伝えられるのではと思い、率直にうれしかったですね」(村野永)
深田さんが一目惚れした〈ミヤコ ラウンジチェア〉とともに、村野藤吾が千代田生命本社ビル(現・目黒区総合庁舎)の役員室のためにデザインした〈チヨダ ソファ〉の復刻に向け、歩みが始まった。
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