ARCHITECTURE
佐賀が産んだ日本近代建築の父・辰野金吾の業績を知る【佐賀シティガイド】
May 23, 2023 | Architecture, Design, Travel | casabrutus.com | photo_Satoshi Nagare editor_Akio Mitomi
唐津市の中心街に建つ赤レンガ造の〈旧唐津銀行〉はそのクラシカルなファサードが町のシンボルとして親しまれている。設計には〈東京駅丸の内駅舎〉の赤レンガ駅舎で知られる建築家・辰野金吾が監修で関わっており、内部は現在「辰野金吾記念館」として利用されている。日本の近代建築の礎を担った辰野について知ることができる、ほかにない場所だ。
佐賀県唐津市出身の辰野金吾(1854〜1919年)は日本の近代化で重要な役割を果たし、1896年竣工の〈日本銀行本店本館〉や1914年の〈東京停車場〉(現東京駅丸の内駅舎)など今に残る代表作を遺した建築家だ。
1873年、辰野は工部省工学寮(後の工部大学校・現東京大学工学部)へ入学、英国人建築家ジョサイア・コンドル教授の下で建築を学んだ。1879年に卒業後、辰野は官費で英国に留学、ロンドン大学やコンドルの師ウィリアム・バージェスの事務所で建築を学ぶ。帰国後の1884年に工部大学校の教授となり、〈築地本願寺〉(1934年)の伊東忠太、〈求道会館〉(1915年)の武田五一ら後継の育成にあたった。
ちなみに工部省工学寮に同期入学した曽禰達蔵(1852〜1937年)も唐津出身。コンドルが務めていた三菱社(現三菱地所)に入社後、東京・丸の内のオフィスビル街、通称「一丁ロンドン」の設計に携わった。
1873年、辰野は工部省工学寮(後の工部大学校・現東京大学工学部)へ入学、英国人建築家ジョサイア・コンドル教授の下で建築を学んだ。1879年に卒業後、辰野は官費で英国に留学、ロンドン大学やコンドルの師ウィリアム・バージェスの事務所で建築を学ぶ。帰国後の1884年に工部大学校の教授となり、〈築地本願寺〉(1934年)の伊東忠太、〈求道会館〉(1915年)の武田五一ら後継の育成にあたった。
ちなみに工部省工学寮に同期入学した曽禰達蔵(1852〜1937年)も唐津出身。コンドルが務めていた三菱社(現三菱地所)に入社後、東京・丸の内のオフィスビル街、通称「一丁ロンドン」の設計に携わった。
日本で最初のガバメント・アーキテクトとして金融機関、学校、駅舎、競技場、ホテルなど明治の近代化に欠かせない建築を設計し続けた辰野の生涯は、念願の〈帝国議会新議事堂〉(現国会議事堂)設計コンペのさなか、世界的に大流行したスペイン風邪に感染して66歳の生涯を閉じた。
現存し、誰もが知る代表作としては〈東京停車場〉(現東京駅丸の内駅舎)がよく知られているが、実は佐賀・武雄市の和風建築〈武雄温泉新館・楼門〉(1915年)も辰野の作品だ。英国を中心とした西洋建築を日本にもたらした建築家が、東洋風の旅館を設計……。そんな近代建築史の機微も、佐賀の温泉旅で確かめてほしい。
関連記事:芦沢啓治に聞く、佐賀の名建築5選【佐賀シティガイド】
現存し、誰もが知る代表作としては〈東京停車場〉(現東京駅丸の内駅舎)がよく知られているが、実は佐賀・武雄市の和風建築〈武雄温泉新館・楼門〉(1915年)も辰野の作品だ。英国を中心とした西洋建築を日本にもたらした建築家が、東洋風の旅館を設計……。そんな近代建築史の機微も、佐賀の温泉旅で確かめてほしい。
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