CULTURE
青山二郎の名言「確かな眼というものは …」【本と名言365】
April 15, 2024 | Culture, Art | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Ryota Mukai illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。陶器鑑賞家として、目利き以上の存在感を放った青山二郎。その「眼」の秘密をこう語りました。
確かな眼というものはそこから新しい思考を逆に導き出し、従来の古い思考や言葉を左右する事が出来ます。
随筆家・白洲正子の師匠で、批評家・小林秀雄をして「天才」と言わしめた青山二郎。資産家の家に生まれ、14歳にして早くも焼き物を買いはじめる早熟な陶器鑑賞家だった。26歳で2000点に及ぶ中国陶磁器の図録作成を依頼されていることからも、その鑑賞眼が厚く信頼されていたことがわかる。29歳になる年に結婚し麻布にあった父の持ち家で暮らしはじめると、隣に越してきた小説家の永井龍男をはじめとする文学仲間が集った。「青山学院」と呼ばれた集まりは、青山・永井・小林による「揉みの治療場」で、夜を徹して議論が行われたという。
この「青山学院」で揉みに揉まれ、唯一、教授に昇格したのが文芸評論家の河上徹太郎だ。彼が青山の鑑賞する力を評して「眼の哲学」という言葉を使った。単なる「目利き」以上の存在感がこの言葉に表れている。
その「眼の哲学」について青山は、1950年、創刊直後の雑誌『芸術新潮』に寄せた一文「眼の筍生活」でこう書いている。「確かな眼というものはそこから新しい思考を逆に導き出し、従来の古い思考や言葉を左右する事が出来ます。」。物事の本質は頭で考えるからこそわかるものであって、つまり眼は頭への入り口に他ならない、そんな「世間一般の通念」へのカウンターでもあった。「青山学院」学長流の逆転の発想である。
随筆家・白洲正子の師匠で、批評家・小林秀雄をして「天才」と言わしめた青山二郎。資産家の家に生まれ、14歳にして早くも焼き物を買いはじめる早熟な陶器鑑賞家だった。26歳で2000点に及ぶ中国陶磁器の図録作成を依頼されていることからも、その鑑賞眼が厚く信頼されていたことがわかる。29歳になる年に結婚し麻布にあった父の持ち家で暮らしはじめると、隣に越してきた小説家の永井龍男をはじめとする文学仲間が集った。「青山学院」と呼ばれた集まりは、青山・永井・小林による「揉みの治療場」で、夜を徹して議論が行われたという。
この「青山学院」で揉みに揉まれ、唯一、教授に昇格したのが文芸評論家の河上徹太郎だ。彼が青山の鑑賞する力を評して「眼の哲学」という言葉を使った。単なる「目利き」以上の存在感がこの言葉に表れている。
その「眼の哲学」について青山は、1950年、創刊直後の雑誌『芸術新潮』に寄せた一文「眼の筍生活」でこう書いている。「確かな眼というものはそこから新しい思考を逆に導き出し、従来の古い思考や言葉を左右する事が出来ます。」。物事の本質は頭で考えるからこそわかるものであって、つまり眼は頭への入り口に他ならない、そんな「世間一般の通念」へのカウンターでもあった。「青山学院」学長流の逆転の発想である。
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