DESIGN
クリエイターたちをも魅了する“抽象熊”を代表する4名の作家。
『カーサ ブルータス』2021年10月号より
September 22, 2021 | Design | a wall newspaper | photo_Norio Kidera text_Natsuki Ando editor_Kazumi Yamamoto
スタイリストから陶芸家まで、“モノ知り” がハマる北海道の木彫り熊。抽象的なその姿は、一見ただの木の塊だが、確かに熊を感じる。
北海道の木彫り熊が、高感度ピープルの間で人気!? そう聞いてびっくりするのも無理はない。その人気のやつは、誰もが頭に思い浮かべる、あの黒くテカテカと輝く、シャケを咥えたアイツ、とはちょっと違うのだ。
お土産品としての熊の彫刻が北海道で彫られるようになったのは、いまから約100年前のこと。道南の地、現在の八雲町には、明治以降、たくさんの旧尾張藩出身者が入植していた。大正時代に入り、この地を訪れた当時の尾張徳川家当主、徳川義親は農民たちの貧しい、楽しみの少ない生活を目の当たりにし、改善を試みる。そこで白羽の矢を立てたのが、旧婚旅行で訪れたスイスで出会ったペザントアート(農民美術)の木彫り熊だった。
農閑期である冬に現金収入を得るための産業として、さらには、農民たちの文化的楽しみとして始まった八雲の「熊彫」。その姿は、現在誰もがイメージするあの熊の姿とは少し違っている。鮭を咥えてもいなければ、テカテカと黒光もしていないのだ。
数ある八雲の熊彫の中でも一際目を見張るのが、この地で独自に発展を遂げた「抽象熊」。その圧倒的な存在感から、お土産物を超えたアートとして、多くの人たちがいま注目している。陶芸家、内田鋼一さんもその一人だ。この秋、内田さんが運営する〈BANKOアーカイヴデザインミュージアム〉では、八雲の抽象熊が並ぶ企画展が開催されている。
お土産品としての熊の彫刻が北海道で彫られるようになったのは、いまから約100年前のこと。道南の地、現在の八雲町には、明治以降、たくさんの旧尾張藩出身者が入植していた。大正時代に入り、この地を訪れた当時の尾張徳川家当主、徳川義親は農民たちの貧しい、楽しみの少ない生活を目の当たりにし、改善を試みる。そこで白羽の矢を立てたのが、旧婚旅行で訪れたスイスで出会ったペザントアート(農民美術)の木彫り熊だった。
農閑期である冬に現金収入を得るための産業として、さらには、農民たちの文化的楽しみとして始まった八雲の「熊彫」。その姿は、現在誰もがイメージするあの熊の姿とは少し違っている。鮭を咥えてもいなければ、テカテカと黒光もしていないのだ。
数ある八雲の熊彫の中でも一際目を見張るのが、この地で独自に発展を遂げた「抽象熊」。その圧倒的な存在感から、お土産物を超えたアートとして、多くの人たちがいま注目している。陶芸家、内田鋼一さんもその一人だ。この秋、内田さんが運営する〈BANKOアーカイヴデザインミュージアム〉では、八雲の抽象熊が並ぶ企画展が開催されている。
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