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地域に根付いた至高の〈山形緞通〉|行くぜ、東北。
September 7, 2015 | Design, Travel | sponsored | photo_Kohei Shikama text_Yoshikazu Itamoto (SHOE PRESs) editor_Akio Mitomi
山形県山辺町にあるオリエンタルカーペットは、昭和初期の農村の女性たちの雇用機会を創出するために立ち上がった企業。中国から7人の緞通(だんつう)技術者を招き指導を受けてから80年。当時と変わらぬ手法で緞通を織り続け、その技術は国内のみならず海外からも高い評価を受けています。
皇居新宮殿、京都迎賓館、アメリカ合衆国大使館、バチカン宮殿、歌舞伎座、帝国ホテル、清水寺……これらは全てオリエンタルカーペットの製品が納入された先である。このほかにも、国内の多くの官公庁や公共施設、大手企業、宿泊施設などでオリエンタルカーペットの製品は見られる。
機械織が主流となっている絨毯業界にあって、地域振興から始まって80年の長きにわたり「手織・手刺」にこだわり続けてきた。その確かな技術が認められての結果といえるだろう。
機械織が主流となっている絨毯業界にあって、地域振興から始まって80年の長きにわたり「手織・手刺」にこだわり続けてきた。その確かな技術が認められての結果といえるだろう。
かつての山辺町は、江戸期に始まり明治時代に地場産業に育っていた「山辺木綿」で知られる染織の町であった。ところが、冷害により凶作が起こるたび不況が町を襲い、子女の身売りなどが起こった。この状況を打開したいと立ち上がったのがオリエンタルカーペットの創業者・渡辺順之助だ。知人から「中国に高級な絨毯=緞通(だんつう)を作る産業がある」と教えられ、地元に根付かせられないかとの思いに至った。そして熟慮の末に導入を決断し、中国人技術者7名を招聘することに成功する。
オリエンタルカーペットの緞通づくりは、デザインに始まり、毛糸の染色、手織・手刺、オリジナル技法の仕上げ「マーセライズ加工」まで、一切の工程を社内管理下で行っている。絨毯のデザイン画が決まると、その原図に合わせて指定された染色を行う。染色の種類は実に2万色以上にも及び、専門の職人が微妙な色調整を行いながら「色作り」をしている。その豊富なカラーの糸から各デザインに合った色を選び、緞通作りの要ともいえる職人による手織・手刺が始まる。
現在73歳で現役最年長の職人である森谷りう子さんは「結果を急がず、自分の仕事を正確に行うことが大事。どんなにあせっても毎日少しずつしか進んでいかないんだもの」と笑顔で話す。10代で入社し、この道58年の大ベテランでも、1日に進む織りの分量は145㎝幅のカーペットで、7、8㎝ほど。手織緞通は毎日コツコツと作業することでようやく完成する。
現在73歳で現役最年長の職人である森谷りう子さんは「結果を急がず、自分の仕事を正確に行うことが大事。どんなにあせっても毎日少しずつしか進んでいかないんだもの」と笑顔で話す。10代で入社し、この道58年の大ベテランでも、1日に進む織りの分量は145㎝幅のカーペットで、7、8㎝ほど。手織緞通は毎日コツコツと作業することでようやく完成する。
2013年には、これまでの技術の粋を結集したオリジナルブランド〈山形緞通〉を立ち上げた。日本の美を織り込んだ優雅な和柄だけでなく、オレンジや緑のグラデーションが鮮烈なオリジナルデザイン、そして奥山清行や隈研吾の手により斬新なデザインのコレクションも加えた。
中国の技術者が伝承した緞通の技術を独自に高め世界的なものづくり企業へと発展したオリエンタルカーペット。今後も創造性あふれる表現力で〈山形緞通〉の美しさを世界へと伝えていく。
中国の技術者が伝承した緞通の技術を独自に高め世界的なものづくり企業へと発展したオリエンタルカーペット。今後も創造性あふれる表現力で〈山形緞通〉の美しさを世界へと伝えていく。
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