ARCHITECTURE
トーマス・ヘザウィックの作り出す、“共感する建築”の世界へ。日本初の展覧会が開催中!
『カーサ ブルータス』2023年5月号より
April 19, 2023 | Architecture | a wall newspaper | photo_Satoshi Nagare text_Yoshinao Yamada
上海万博の英国パビリオンや、ニューヨークの〈リトルアイランド〉など、話題の建築を次々と手がけるトーマス・ヘザウィック。彼が率いる〈ヘザウィック・スタジオ〉の日本初となる展覧会が、東京・六本木の〈東京シティビュー〉にて開催中。来日したヘザウィック本人に、インタビューを敢行しました。1994年に自身のスタジオを開設してからおよそ30年。学生時代から現在まで、その足跡に迫ります。
かのテレンス・コンラン卿が“現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ”と評した奇才、トーマス・へザウィック。新たな時代を切り拓く彼のデザインはどのように生まれたのか。〈東京シティビュー〉で開催中の『ヘザウィック・スタジオ展:共感する建築』(企画:森美術館)で、学生時代まで遡りながらそのルーツに迫っていこう。
Q 今回の展示をご覧になって、どのように感じましたか?
完成したプロジェクトはもちろんですが、形にならなかったプロジェクトや学生時代に提案した建築模型まで。これまでの人生におけるあらゆる作品が展示され、まるで丸裸にされたような気分です。走馬灯じゃないといいんだけど(笑)。今回の展示は〈森美術館〉の片岡真実館長がキュレーションしたもので、プロジェクトの本当の始まりとなったようなアイデアから、形にならなかった計画まで実に幅広く取り上げてくれています。
一見何げなく見える学生時代の模型が、僕にとっては本展で最も意味を持つ作品です。この制作で僕は、手でモノをつくる意味を強く意識することになったんです。これはいまでも僕にとって大きな転換点となる出来事だったと感じています。
ただし学校の評価はさんざんで、これは建築ではないと評価されました。思わず僕も「これは建築ではなく大きなチェストみたいなものですから」と返したんですけどね。ただどうしても実現したく、自らスポンサーを集めて実現に至ったのです。そうすると否定的だった声が一転し、僕は自身の考えに自信を持てるようになったのです。
Q 今回の展示をご覧になって、どのように感じましたか?
完成したプロジェクトはもちろんですが、形にならなかったプロジェクトや学生時代に提案した建築模型まで。これまでの人生におけるあらゆる作品が展示され、まるで丸裸にされたような気分です。走馬灯じゃないといいんだけど(笑)。今回の展示は〈森美術館〉の片岡真実館長がキュレーションしたもので、プロジェクトの本当の始まりとなったようなアイデアから、形にならなかった計画まで実に幅広く取り上げてくれています。
一見何げなく見える学生時代の模型が、僕にとっては本展で最も意味を持つ作品です。この制作で僕は、手でモノをつくる意味を強く意識することになったんです。これはいまでも僕にとって大きな転換点となる出来事だったと感じています。
ただし学校の評価はさんざんで、これは建築ではないと評価されました。思わず僕も「これは建築ではなく大きなチェストみたいなものですから」と返したんですけどね。ただどうしても実現したく、自らスポンサーを集めて実現に至ったのです。そうすると否定的だった声が一転し、僕は自身の考えに自信を持てるようになったのです。
Q どんな学生時代でしたか?
学生時代は世界の建物を見て歩きました。けれどそこで見た新しいビルのほとんどが人間性に欠けており、その理由を考える日々だったのです。モダニズムが学術に目を向けるあまり、ものづくりに価値を置かなくなったからではないか。思想を身につけることは大切ですが、僕らは物質に触れると触感を楽しむことができるし、そうした感覚こそが重要だと考えるようになったのです。
建築の世界では、エモーショナルであることがまるでセンチメンタルであるかのように捉えられ、形に反映すべきではないとされています。ですが僕らは椅子に座ると、そこになにかしらの感覚を得ます。その椅子は木で出来ているのか、はたまた紙やコンクリートで出来ているのか。その触感を楽しむような感覚が本能的に備わっているのです。
学生時代は世界の建物を見て歩きました。けれどそこで見た新しいビルのほとんどが人間性に欠けており、その理由を考える日々だったのです。モダニズムが学術に目を向けるあまり、ものづくりに価値を置かなくなったからではないか。思想を身につけることは大切ですが、僕らは物質に触れると触感を楽しむことができるし、そうした感覚こそが重要だと考えるようになったのです。
建築の世界では、エモーショナルであることがまるでセンチメンタルであるかのように捉えられ、形に反映すべきではないとされています。ですが僕らは椅子に座ると、そこになにかしらの感覚を得ます。その椅子は木で出来ているのか、はたまた紙やコンクリートで出来ているのか。その触感を楽しむような感覚が本能的に備わっているのです。
Loading...
Loading...