TRAVEL
【追悼・ケリー・ヒル】アマンを手がけたアジアのリゾート建築の第一人者。
September 25, 2018 | Travel, Architecture | casabrutus.com | text_Reiko Kasai
アジアのリゾートの礎を築いた建築家、ケリー・ヒルが8月、亡くなりました。今改めて振り返りたい彼の仕事をご紹介します。
8月26日、建築家ケリー・ヒルが、故郷のオーストラリア・パースで75歳の生涯を閉じた。シンガポールを拠点に、バリ島やタイ、スリランカなどトロピカルアジア各地のリゾートホテルデザインの第一人者として多くの仕事を重ねてきたヒル。近年はアマン初のシティホテルとして4年前に登場した〈アマン東京〉、一昨年開業の伊勢志摩の〈アマネム〉の設計を通じて、日本でも彼の美しいホテルの空間デザインが広く知られるようになっている。
もともと志してリゾート建築の道に入ったわけではなく、有名設計事務所の就職に失敗し、香港で働いたことが、リゾート建築へ向かわせるきっかけとなった。若きヒルは、ホテル建設のサイトアーキテクトとしてバリ島に駐在し、そこで彼が影響を受けた建築家ジェフリー・バワや、生涯の朋友となったアマンの創設者エイドリアン・ゼッカたちと出会ったのだ。
ディテールにこだわり、無駄な装飾性を省いたシンプルなモダンデザインは、一見、究極の快楽を提供する高級リゾートホテルの存在意義と相反するように感じられるかもしれない。ヒルのホテルデザインに対する哲学は、ローカリティを追求し、文化を理解し、周辺の環境に寄り添い風土に溶け込む空間をつくりあげることであった。1990年代前半のプロジェクト、バリ島東部の鄙びた漁村に開発された〈ザ・セライ〉(現在は〈アリラ・マンギス〉)や、マレーシア・ランカウイ島の深い熱帯雨林の中に建設された〈ザ・ダタイ〉など、いわゆるメインのリゾート開発エリアから離れた地で、現地の建築法を踏襲し、現地の素材を最大限に利用しながら、なおかつモダンなリゾート空間をつくりあげ、評価を不動のものにした。
もともと志してリゾート建築の道に入ったわけではなく、有名設計事務所の就職に失敗し、香港で働いたことが、リゾート建築へ向かわせるきっかけとなった。若きヒルは、ホテル建設のサイトアーキテクトとしてバリ島に駐在し、そこで彼が影響を受けた建築家ジェフリー・バワや、生涯の朋友となったアマンの創設者エイドリアン・ゼッカたちと出会ったのだ。
ディテールにこだわり、無駄な装飾性を省いたシンプルなモダンデザインは、一見、究極の快楽を提供する高級リゾートホテルの存在意義と相反するように感じられるかもしれない。ヒルのホテルデザインに対する哲学は、ローカリティを追求し、文化を理解し、周辺の環境に寄り添い風土に溶け込む空間をつくりあげることであった。1990年代前半のプロジェクト、バリ島東部の鄙びた漁村に開発された〈ザ・セライ〉(現在は〈アリラ・マンギス〉)や、マレーシア・ランカウイ島の深い熱帯雨林の中に建設された〈ザ・ダタイ〉など、いわゆるメインのリゾート開発エリアから離れた地で、現地の建築法を踏襲し、現地の素材を最大限に利用しながら、なおかつモダンなリゾート空間をつくりあげ、評価を不動のものにした。
その後はブータン、スリランカ、カンボジアなどの地でアマンとのコラボレーションが続く。「アマンとの仕事は、一緒に土地を探して現場を訪れることから始まる。異なった風土・文化の中でどのように新しい建築をプログラムをするかが最大の関心事だ。部屋数30室、レストラン一棟、という簡単な指示を受けて設計はスタートする」。2005年、スリランカの2軒のアマンがオープンした時に、ヒルはカーサとのインタビューの中で「アマン・エクスペリエンス」がどう生みだされてきたのかを語ってくれた。
大柄で一見いかめしく寡黙なヒルは、とっつきにくい印象があり、シンガポールの市街地の一角にある3階建てのショップハウスを改装した事務所は、聖域に足を踏み入れるような厳粛な雰囲気に満ちている。
彼の建築への取り組みは、修道僧のような生真面目さを感じさせるものだったが、しかし、一度口を開くと皆が彼の言葉に耳をかたむけ、ジントニックを飲んでリラックスしているときのヒルは、時にとてもユーモラスでもありチャーミングであった。「建築そのものが主張しない」という貫徹したヒルの意思は、そのまま彼の生き様でもあったように感じられる。
実は大変な日本びいきだったヒルは、生涯に80回も日本を訪れたという。所員たちに引き継がれ、ヒルの長年の想いが結集している新しいホテルのオープンが待ち遠しい。
彼の建築への取り組みは、修道僧のような生真面目さを感じさせるものだったが、しかし、一度口を開くと皆が彼の言葉に耳をかたむけ、ジントニックを飲んでリラックスしているときのヒルは、時にとてもユーモラスでもありチャーミングであった。「建築そのものが主張しない」という貫徹したヒルの意思は、そのまま彼の生き様でもあったように感じられる。
実は大変な日本びいきだったヒルは、生涯に80回も日本を訪れたという。所員たちに引き継がれ、ヒルの長年の想いが結集している新しいホテルのオープンが待ち遠しい。
ケリー・ヒル。Photo_Brett Broadman