【追悼:ジョエル・ロブション #2】 3人の日本人が語る物作りの姿勢。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

【追悼:ジョエル・ロブション #2】 3人の日本人が語る物作りの姿勢。

『カーサ ブルータス』2018年10月号より

取材を重ねた本誌元編集長、17年来の愛弟子、内装を手がけたデザイナーが氏の思い出を語ります。

ジョエル・ロブション 料理人。レストラン〈ジョエル・ロブション〉を展開し「フレンチの神様」と呼ばれる。15歳で料理の道を志し、1984年、39歳の時に史上最短記録でミシュラン3つ星を獲得。以降2011年までに計26の星を獲得し、うち3店舗が3ツ星。星の保有数は世界最多。2018年8月6日、73歳で逝去。あの〈エル・ブリ〉が世に出たのは1992年、1ツ星を取ったばかりのスペインの片田舎の無名シェフ、フェラン・アドリアをロブションが訪ねたことがきっかけでした。それから10年後の2002年、食通たちの注目の的だった〈エル・ブリ〉をカーサはロブションと訪ねました。photo_Kinta Kimura
語ってくれた人 吉家千絵子
よしいえちえこ 編集者。マガジンハウスにて、『Hanako』『BRUTUS』などを経て、2000年から8年間、『Casa BRUTUS』の編集長を務める。
実験的な料理の供し方も注目の的だった〈エル・ブリ〉。2002年7月号のカーサ誌上でロブションはフェランを訪ね、世界最多全41皿のメニューを平らげ、その魅力と食べ方を丁寧に説明してくれた。「料理の好き嫌いを言う人はいる。だが誰も無関心ではいられない。フェランはそういうスケールの天才だ」とロブション(右)が言えば「私にとって料理長はいつだってジョエルだよ。彼の本はすべて熟読した」とフェラン(左)。
2001年1月号のカーサ誌上で「お取り寄せのベストセラー」の食べ比べをしてくれたロブション。お気に入りはアルプ・カーゼの《チーズ》と菓子工房エピナールの《トリュフ・オ・ショコラ》。
氏もカーサも、新しいものが大好きでした。

2003年4月25日、私とカーサのスタッフ数名は、六本木ヒルズの行列にいました。ロブション氏が世界初のカウンター方式のフレンチ〈ラトリエ ドゥジョエル・ロブション〉をオープンする朝です。「予約をとらない」その店のオープニングのお客さんに、どうしてもなりたい一心でした。「どんな料理なんだろう?」との期待が爆発して、つい「メニューにあるものすべてオーダーしたい」と注文してしまったほどです。初日の厨房をさらに忙しくしたでしょうが、あの時の心躍る体験は今も忘れません。

カーサは、「20世紀最高の料理人」と謳われるロブション氏に、惹かれ、目が離せずに、何度も取材をお願いしてきました。恵比寿のシャトーのリニューアルはもちろん、パリに、マカオに……と。マカオでは、わざわざ名所での記念撮影にも応じてくれました。

中でも忘れられないのは、02年のスペインの〈エル・ブリ〉特集です。1コースが数十皿、ラボのような調理場、その前衛さで、世界一話題の店であった〈エル・ブリ〉。カタルーニャの片田舎のその店を、見いだし世界に広めたのは、実はロブション氏でした。それを聞きつけたカーサは、だめもとで氏に〈エル・ブリ〉の再訪をお願いしたところ……なんと、ロブション氏は快諾! 〈エル・ブリ〉のシェフ、フェラン・アドリアが用意した気合いの41皿をロブション氏が食べつつ、解説するゴージャスな企画でした。ヨーロッパのフードジャーナリストから「どうして、そんな企画ができたんだ!?」と連絡が入ったほどです。

また、日本のお取り寄せのベストセラーを食べ比べてもらったことも……。ざる豆腐、角煮めし、和三盆など……をひとつひとつ吟味しながら評価するその姿からは、食へのゆるぎない情熱があふれていました。

ロブション氏と素晴らしいページが作れたのは、本当に幸せでした。氏とカーサを結びつけてくれた多くの人々には、感謝の限りです。それでもなお、「なぜご一緒できたかな」と振り返ると、カーサもロブション氏も「新しいものがとっても大好き」だったからでは? ロブション氏の新しい素材やスタイルへの情熱と、それに共鳴するカーサの企画が、ぴったりはまることがあったのでは……と思います。

ロブション氏の築いた食の世界は、今後も私たちを魅了してくれるでしょう。それでも、ロブション氏への取材で常に聞いてきた「次は何を?」の答えがもう返ってこないことは残念でなりません。
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