追悼、フローレンス・ノル。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

追悼、フローレンス・ノル。

さる1月25日、フローレンス・ノルが惜しまれつつこの世を去った。享年101才。20世紀のオフィス空間に革命をもたらした伝説のインテリア・デザイナーとは、一体どんな人物だったのか。

チャールズ・イームズが盟友フローレンス・ノルに宛てた手紙の中に、こんなくだりがある。「東海岸に行くたびに貴方の仕事をどれか見に行くのだが、いずれも実に素晴らしい。凡庸が当たり前とされる世の中で、これほどの仕事を成し遂げるとは何とありがたい事だろうか」。

モダンデザインの分野で最も影響力のある人物との誉れも高い、フローレンス・ノル。戦後アメリカのオフィスに洗練と伸びやかな心地よさをもたらしたデザイナーにして、従来の「インテリア=デコレーション」の常識を破り、建築の一部としてのインテリアを実践したパイオニアだ。代表作はNYの〈CBSビル〉や〈LOOKマガジン本社〉〈シーグラム〉ほか。ミース・ファン・デル・ローエやエリエル・サーリネンに師事した彼女は、夫ハンス・ノルと共に経営した家具ブランド〈Knoll〉でミッドセンチュリーの巨人たちとタッグを組み、バルセロナ・チェアをはじめとする不朽の名作を世に送り出した立役者でもある。
フローレンスの人生と業績を駆け足で振り返ってみよう。

1917年、ミシガン州生まれ。旧姓フローレンス・シュストは12才で両親と死別し、後見人と見学して回った寄宿学校の中から選んだのがブルームフィールド・ヒルズ・キングスウッド女学校。エリエル・サーリネン設計による、豊かな人間性を育む環境で学んだフローレンスは、系列校である名門クランブルック美術アカデミーに進学する。ちなみにチャールズ・イームズは大学時代からの仲間。校長を務めていたサーリネンとその一家は、フローレンスを家族のように迎え入れ、夏には毎年フィンランドで共に休暇を過ごしたという。

その後サーリネンやアルヴァ・アアルトの勧めで、NYのコロンビア大学やロンドンのAAスクールで建築や都市計画を学ぶ。コルビュジエのインターナショナル様式に強く感化されるも、第二次世界大戦の拡大に伴いアメリカに帰国。マサチューセッツ州でヴァルター・グロピウスやマルセル・ブロイヤーなどバウハウス出身の建築家の元で働き、シカゴのイリノイ工科大学でミース・ファン・デル・ローエに学ぶ。

1941年に住み始めたNYで出会ったのが、実家がドイツの家具メーカーで、NYで自分の会社を設立しようとしていたハンス・ノルだ。2人は1946年に結婚し、公私ともにパートナーとなる。
左:Cowles社のオフィスデザインのための模型。
右:夫のハンスとともに会議に臨むフローレンス。
〈ノル・アソシエイツ〉社にフローレンスは〈ノル・プランニング・ユニット〉という部門を設立し、オフィス空間のデザインを次々手がける。それまでアメリカの仕事場といえば、収納家具が場所を取るばかりの狭い小部屋が連なっているのが当たり前。フローレンスは大胆にもこれをオープンスペースに変える。会議テーブルも楕円形にすることで、互いの顔がよく見渡せて、対等なやりとりが促される。机やイスも従来に慣習にとらわれない斬新な並べ方を編み出して、モダンで快適な職空間へと変えてみせたのである。

家具にアーティスティックなテキスタイルを用いることで、殺風景で無機質なオフィスに色彩やぬくもりをもたらした。また小さい生地サンプルを何枚も土台に貼り付けて、クライアントのプレゼンに使うという今や世界的に慣例化している手法も、そもそもは彼女の発案というから驚きだ。
左:小さい生地サンプルを壁に貼り付けてプレゼンする手法を生み出したのも、彼女だ。
右:模型を製作してプレゼンするフローレンス。
当時の家具メーカーとしては珍しく、〈ノル〉は業界誌以外に『ニューヨーカー』や『フォーチュン』など一般誌にも広告を出したのが興味深い。根底にあるのは、デザインというものを一般にも広く知ってほしいという願いに他ならない。

彼女の業績の中で忘れてならないのは、建築家に家具デザインを手がけさせたパイオニアでもあったこと。中でもミースのバルセロナ・チェアを最初にコミッションしたのは有名だ。ミースが自分の家具を量産させたのはこれが初となる。信頼する弟子フローレンスの説得に、首をタテに振ったというわけだ。一方、エーロ・サーリネンがノルのために作ったのが〈チューリップ・チェア/デスク〉や〈ウーム・チェア〉。このほかフローレンスが家具をコミッションした人々の名前を挙げてみよう。イームズ夫妻やイサム・ノグチ、ジョージ・ナカシマ、ハリー・ベルトイア……ミッドセンチュリーの巨人たちがズラリ並ぶ。

不運に見舞われたのは1955年のこと。自動車事故による夫ハンスの急逝だ。フローレンスは1960年まで〈ノル〉の代表を務め、以後5年間、同社デザイン部のディレクターとして活躍した。〈ノル〉を離れてからはフロリダで穏やかな生活を送ったと伝えられている。

ミースからは完璧主義な精緻さやデザインアプローチを、サーリネンからは何よりもヒューマニズムを受け継いだフローレンス。インテリアを建築として捉えるトータルデザインをいちはやく実践し、すっきりと伸びやかで人間味のあるオフィス空間を世界へともたらした。1961年には、女性として初めてAIA(アメリカ建築家協会)からインダストリアルデザイン部門のゴールドメダルを受賞。また2002年には、米国で芸術への貢献に対して捧げられる最高の名誉「ナショナル・メダル・オブ・アーツ」を授与される。
2002年に「ナショナル・メダル・オブ・アーツ」を受賞した際の様子。
ミッドセンチュリー最後の巨星が生み出したデザイン遺産は、今の私たちにはまさしく温故知新。タイムレスなその業績に、あらためて向き合ってみたい。