TRAVEL
江戸の町並みを残す宿場町・大内宿へ|行くぜ、東北。
January 12, 2016 | Travel, Architecture, Food | sponsored | photo_Tetsuya Ito text_Kei Sasaki editor_Akio Mitomi
会津若松(福島県)と日光街道の今市(栃木県)を結ぶ街道の宿場町として江戸時代に栄えた大内宿。時代の流れに取り残されたかのような昔のままの町並みは、戦後、国の重要伝統的建造物群保存地区に。そこに暮らす人々が建物を保存活用しながら、当時の暮らしぶりを今に伝えています。
会津鉄道会津線の湯野上温泉駅から車で約10分。小野川の清流を眺めつつ山道を進むと、時代映画の撮影セットを彷彿とさせる茅葺屋根の集落が現れる。江戸時代に会津若松城下と今市宿を結ぶ下野街道(会津西街道)の宿場町として整備された大内宿は、会津藩の参勤交代の要所とされていた。
明治以降は国道や鉄道に物流経路の役割を譲るが、敷設地が迂回したおかげで昔ながらの町並みはそのままに。現在、年間120万人が訪れる観光地として賑わいを見せている。
古く平安時代には、平清盛に反旗を翻した高倉宮以仁皇(後白河天皇の第二皇子)が、戦いに敗れてこの地に潜伏したと伝えられている。街道の中ほどに一の鳥居がある高倉神社は、高倉宮以仁皇を祀った神社。毎年7月に行われる「大内半夏(はんげ)祭り」は、高倉宮ゆかりの祭として知られ、古式豊かな祭りの様子が夏の風物詩となっている。
本殿は一の鳥居からは見えないほど長い参道の先にあるが、ぜひ足を延ばして参拝してほしい。裏手に樹齢800年、樹高56メートルの杉の巨木が根を張る、知る人ぞ知るパワースポットだ。
本殿は一の鳥居からは見えないほど長い参道の先にあるが、ぜひ足を延ばして参拝してほしい。裏手に樹齢800年、樹高56メートルの杉の巨木が根を張る、知る人ぞ知るパワースポットだ。
大内宿を語る上でもうひとり、忘れてはならないのは、武蔵野美術大学の相沢韶男(つぐお)名誉教授の存在。1967年、全国を巡る旅の中で大内宿を訪れた相沢名誉教授は、大切に守り残されてきた町並みや土地の人々の温かなもてなしに触れ、この地の暮らしを後世に残すことを提唱した人物だ。
戦後の高度経済成長期、自治体も住民も利便性を求めて茅葺の屋根からの脱却を望んだ時代のこと。村に滞在し、地域の人と暮らしをともにしながら、時代の急速な流れに抗い、この地の景色を残すことを辛抱強く説いて回ったという。
そんな相沢名誉教授の努力と村の人たちの協力のおかげで家々の修復作業が進み、大内宿は81年、文化庁から伝統的建造物群保存地区の指定を受けた。
戦後の高度経済成長期、自治体も住民も利便性を求めて茅葺の屋根からの脱却を望んだ時代のこと。村に滞在し、地域の人と暮らしをともにしながら、時代の急速な流れに抗い、この地の景色を残すことを辛抱強く説いて回ったという。
そんな相沢名誉教授の努力と村の人たちの協力のおかげで家々の修復作業が進み、大内宿は81年、文化庁から伝統的建造物群保存地区の指定を受けた。
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