CULTURE
ヘルマン・ヘッセの名言「木に傾聴することのできる人は、…」【本と名言365】
April 10, 2024 | Culture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Ryota Mukai illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。『車輪の下』や『デミアン』などで知られるドイツ文学の大家ヘルマン・ヘッセ。その感性を育てたのは、幼少期から親しんだ庭仕事でした。
木と話をし、木に傾聴することのできる人は、真理を体得する。
1877年、ドイツ南部に生まれたヘルマン・ヘッセ。最初の著書を出版したのは22歳のときだったが、庭仕事を始めたのははるか前、9歳の頃だった。生家の裏の段々畑の一部を母に任されたのだ。ようやく自分の庭を持ったのは自伝的長編小説『車輪の下』を発表した2年後、30歳のとき。ところはドイツ、オーストリア、スイスの国境に位置するボーデン湖畔のガイエンホーフェンだった。5年後にはスイスの首都ベルンに転居し、ここでも庭を持った。この時期にこんな言葉を書いている。
「木と話をし、木に傾聴することのできる人は、真理を体得する。」
その命をかけて、ただただみずからを表現することを追求している木は、生きることの根本法則を説くのだと。続けて「生きること」や「故郷」について木が語っているという言葉を綴っていく。そのファンタジックな構成は、前年に執筆した小説『デミアン』で描かれる、若者の内面描写に通ずるものさえ感じられる。
『デミアン』がヘッセにとって作風の大転換になったように、このあと転居し約10年間は庭なしの生活が続いた。そののち、イタリア国境のスイスの村、モンタニョーラに建てた家では再び庭を持ち、晩年まで草花とともに暮らした。つまりヘッセの庭人生には前期と後期がある。そして本書はそのどちらの時期の文章も味わえるお得な1冊でもある。
1877年、ドイツ南部に生まれたヘルマン・ヘッセ。最初の著書を出版したのは22歳のときだったが、庭仕事を始めたのははるか前、9歳の頃だった。生家の裏の段々畑の一部を母に任されたのだ。ようやく自分の庭を持ったのは自伝的長編小説『車輪の下』を発表した2年後、30歳のとき。ところはドイツ、オーストリア、スイスの国境に位置するボーデン湖畔のガイエンホーフェンだった。5年後にはスイスの首都ベルンに転居し、ここでも庭を持った。この時期にこんな言葉を書いている。
「木と話をし、木に傾聴することのできる人は、真理を体得する。」
その命をかけて、ただただみずからを表現することを追求している木は、生きることの根本法則を説くのだと。続けて「生きること」や「故郷」について木が語っているという言葉を綴っていく。そのファンタジックな構成は、前年に執筆した小説『デミアン』で描かれる、若者の内面描写に通ずるものさえ感じられる。
『デミアン』がヘッセにとって作風の大転換になったように、このあと転居し約10年間は庭なしの生活が続いた。そののち、イタリア国境のスイスの村、モンタニョーラに建てた家では再び庭を持ち、晩年まで草花とともに暮らした。つまりヘッセの庭人生には前期と後期がある。そして本書はそのどちらの時期の文章も味わえるお得な1冊でもある。
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