CULTURE
【本と名言365】ドナルド・ジャッド|「私は常に建築に関心を抱いてきた。」
April 3, 2024 | Culture, Architecture, Art | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。現代美術の巨人、ドナルド・ジャッドは作品ととともに優れた建築と家具、そして評論を残した人物だ。建築を語るなかで彼が示した言葉を辿る。
私は常に建築に関心を抱いてきた。
ドナルド・ジャッドは1950年代後半に登場したミニマル・アートを代表する人物で、戦後アメリカの芸術に大きな影響を与えた。金属などの工業用素材を用い、工場への発注や職人への委託で作品制作を行ったミニマル・アートの動きは、彫刻に新しい流れを生み出した。もっともジャッド自身はミニマリズムの文脈で語れることに否定的であったのだが。
ジャッドは高校卒業後、陸軍に入隊し大韓民国に駐留する。それは建築家となるか画家になるかを決める期間であったといい、帰国後は大学で哲学を学ぶとともに美術学校で絵画を学ぶ。初期は抽象表現への模索とともに美術評論の執筆を行った。1962年から箱型を上積みして構成する代表作となるシリーズを発展させ、作風を確立。1965年に自作を含めた新たな美術的動向が従来の絵画や彫刻となぜ違うのかを論じた『スペシフィック・オブジェクツ』を発表する。作品そのものの色彩や形態による純粋性、空間と作品の関係性を追求する芸術を目指したジャッドは作品のほとんどを「無題」としている。
本書は1989年にドイツ・ミュンスターの美術館で開催された展覧会「ドナルド・ジャッド 建築」にあわせて出版された図録の日本語版で、ジャッドが建築について記したエッセイを多数収録する。今日ではジャッドと建築のつながりを言及、紹介する書籍が多数刊行されているが、この展覧会はそれまで両者を結びつけて考えられていなかった時代に行われた画期的なものだった。本書では「アートと建築」と題したエッセイもしくは講演録が4度にわたって登場し、最後の1987年に記されたエッセイは「私は常に建築に関心を抱いてきた。」という一文から始まる。
自身が書くようにジャッドは建築に強い関心をもち、自らいくつもの空間を設計した。1968年に、ニューヨークのスプリング・ストリート101番地に住居兼アトリエとして購入した5階建ての建物は現在〈ジャッドファンデーション〉として公開される。キュレーターの企画で作品が意味づけられるのを拒否したジャッドは、自身のアトリエで作品を常設展示した。1971年にはテキサス州マーファに家を借り、徐々にその規模を拡大していく。ここで必要に駆られて最初の家具製作を始め、次第にさまざまな方法で家具を製作するようになった。
ジャッドは本書で建築や家具とアートは別であると語る。ただし比例(プロポーション)は思考と感覚が一体化したものであり、それは両者に特有なものとして時間と空間を作りだすものだとしている。そのなかでルイス・カーンやミース・ファン・デル・ローエらの建築を賞賛する。ジャッドは自身の生涯において指針を決める際から、長く建築への意識を失うことはなかった。その作品はジャッドが語るようにあくまでアートだが両者には深い連なりがある。時代を変えた作家に宿った建築観が、アートの歴史をも大きく変えたと言えるだろう。
ドナルド・ジャッドは1950年代後半に登場したミニマル・アートを代表する人物で、戦後アメリカの芸術に大きな影響を与えた。金属などの工業用素材を用い、工場への発注や職人への委託で作品制作を行ったミニマル・アートの動きは、彫刻に新しい流れを生み出した。もっともジャッド自身はミニマリズムの文脈で語れることに否定的であったのだが。
ジャッドは高校卒業後、陸軍に入隊し大韓民国に駐留する。それは建築家となるか画家になるかを決める期間であったといい、帰国後は大学で哲学を学ぶとともに美術学校で絵画を学ぶ。初期は抽象表現への模索とともに美術評論の執筆を行った。1962年から箱型を上積みして構成する代表作となるシリーズを発展させ、作風を確立。1965年に自作を含めた新たな美術的動向が従来の絵画や彫刻となぜ違うのかを論じた『スペシフィック・オブジェクツ』を発表する。作品そのものの色彩や形態による純粋性、空間と作品の関係性を追求する芸術を目指したジャッドは作品のほとんどを「無題」としている。
本書は1989年にドイツ・ミュンスターの美術館で開催された展覧会「ドナルド・ジャッド 建築」にあわせて出版された図録の日本語版で、ジャッドが建築について記したエッセイを多数収録する。今日ではジャッドと建築のつながりを言及、紹介する書籍が多数刊行されているが、この展覧会はそれまで両者を結びつけて考えられていなかった時代に行われた画期的なものだった。本書では「アートと建築」と題したエッセイもしくは講演録が4度にわたって登場し、最後の1987年に記されたエッセイは「私は常に建築に関心を抱いてきた。」という一文から始まる。
自身が書くようにジャッドは建築に強い関心をもち、自らいくつもの空間を設計した。1968年に、ニューヨークのスプリング・ストリート101番地に住居兼アトリエとして購入した5階建ての建物は現在〈ジャッドファンデーション〉として公開される。キュレーターの企画で作品が意味づけられるのを拒否したジャッドは、自身のアトリエで作品を常設展示した。1971年にはテキサス州マーファに家を借り、徐々にその規模を拡大していく。ここで必要に駆られて最初の家具製作を始め、次第にさまざまな方法で家具を製作するようになった。
ジャッドは本書で建築や家具とアートは別であると語る。ただし比例(プロポーション)は思考と感覚が一体化したものであり、それは両者に特有なものとして時間と空間を作りだすものだとしている。そのなかでルイス・カーンやミース・ファン・デル・ローエらの建築を賞賛する。ジャッドは自身の生涯において指針を決める際から、長く建築への意識を失うことはなかった。その作品はジャッドが語るようにあくまでアートだが両者には深い連なりがある。時代を変えた作家に宿った建築観が、アートの歴史をも大きく変えたと言えるだろう。
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