CULTURE
【本と名言365】花森安治|「暮らしと結びついた…」
| Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Mariko Uramoto
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。庶民に寄り添いながら衣食住を提案してきた昭和の編集者の花森安治。暮らしを脅かす戦争に反発し、国や企業、報道機関に対しては鋭い批評を展開してきた彼が生涯を通じて伝えたかった“うつくしさ”について。
暮らしと結びついた美しさが、ほんとうの美しさだ。
編集者、グラフィックデザイナー、ジャーナリスト、コピーライターなどマルチな才能を発揮した花森安治。1948年、大橋鎮子とともに創刊した『美しい暮しの手帖』(のちの『暮しの手帖』)はさまざまな名物企画を打ち出し、発行100万部の国民的雑誌へと育て上げた。
ものが不足していた戦後復興期には暮らしを豊かにするための工夫やアイデアを掲載。高度成長期には“日用品の商品テスト”を実施し、生活者の視点から厳しい目で商品を評価した。そして、食品の安全性や公害問題が叫ばれた時代には、企業の方針を鋭く批評し、権力や圧力に挑んだ。
花森が戦後間もなく、生活に根ざした雑誌を作った理由は何だったのか。それは、敗戦をきっかけに気づいたことがあったからだ。「暮しを犠牲にしてまで守る、戦うものはなんにもなかった。それなのに八月十五日まではとことん軽んじてきた、あるいは軽んじさせられてきたのです」(※1)。
かけがえのない日々を慈しむこと、美意識を培うこと、人が人らしく生きること。それは一個人の話にとどまらず、企業や政治、国の在り方にもつながっている。花森が言う“ほんとうの美しさ”を求めた先に、人々の暮らしを壊すような争いごとは生まれないだろう。何十年もの時を超えて今、花森の言葉は私たちの生活に対する態度や国のゆく末を憂いているようにも思える。
※1『1億人の昭和史4 空襲・敗戦・引揚』1975年(昭和50)・毎日新聞社「僕らにとって8月15日とは何であったか」
編集者、グラフィックデザイナー、ジャーナリスト、コピーライターなどマルチな才能を発揮した花森安治。1948年、大橋鎮子とともに創刊した『美しい暮しの手帖』(のちの『暮しの手帖』)はさまざまな名物企画を打ち出し、発行100万部の国民的雑誌へと育て上げた。
ものが不足していた戦後復興期には暮らしを豊かにするための工夫やアイデアを掲載。高度成長期には“日用品の商品テスト”を実施し、生活者の視点から厳しい目で商品を評価した。そして、食品の安全性や公害問題が叫ばれた時代には、企業の方針を鋭く批評し、権力や圧力に挑んだ。
花森が戦後間もなく、生活に根ざした雑誌を作った理由は何だったのか。それは、敗戦をきっかけに気づいたことがあったからだ。「暮しを犠牲にしてまで守る、戦うものはなんにもなかった。それなのに八月十五日まではとことん軽んじてきた、あるいは軽んじさせられてきたのです」(※1)。
かけがえのない日々を慈しむこと、美意識を培うこと、人が人らしく生きること。それは一個人の話にとどまらず、企業や政治、国の在り方にもつながっている。花森が言う“ほんとうの美しさ”を求めた先に、人々の暮らしを壊すような争いごとは生まれないだろう。何十年もの時を超えて今、花森の言葉は私たちの生活に対する態度や国のゆく末を憂いているようにも思える。
※1『1億人の昭和史4 空襲・敗戦・引揚』1975年(昭和50)・毎日新聞社「僕らにとって8月15日とは何であったか」
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