CULTURE
【本と名言365】倉俣史朗|「今の意識は常に廻し続けられた未現像のフィルムと…」
November 1, 2023 | Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。世界的にゆるがない評価を獲得し、いまなお注目を続けるデザイナー、倉俣史朗。ポエティックなデザインで知られる倉俣が語った言葉もまたポエティックなものだった。
今の意識は常に廻し続けられた未現像のフィルムと交流し交差し、時として周波数は同調し形(デザイン)に結びつく。
ニューヨーク近代美術館、パリ装飾美術館、ポンピドゥーセンターなど、世界の錚々たるミュージアムに家具が収蔵され、2019年には香港のM+にかつて新橋にあったすし店「きよ友」のインテリアがそのまま移設、収蔵されたデザイナー、倉俣史朗。アクリルやガラスなどの透明な素材、そしてテラゾやエキスパンドメタルなどの建材や工業部材を用いた家具やインテリアの仕事は、没後30年を超えたいまも人々に新鮮な驚きを与え続けている。
倉俣は唯一の著作『未現像の風景−記憶・夢・かたち』で、幼いころの記憶を語っている。父が勤める理化学研究所の社宅に暮らした倉俣は、敷地内に散らばる薬瓶、資材や建材が転がる建築現場などが自身の原風景にあるという。こうした素材への興味が後の彼のデザインに影響を与えていったのではないかと倉俣自身は考察する。しかしそうした幼少期も戦争に伴う疎開で終わりを告げ、疎開先の農村で小学生時代を過ごした。疎開先でも空襲にあいながら、米軍の飛行機が降らせた電波妨害用の錫箔がサラサラと音を立てて降り注ぐ姿、そして月夜に照らされてキラキラ光る風景は幻想的だったと書く。ただそれは倉俣特有のレトリックではないか。疎開時の思い出をポジティブに語ってはいるが、倉俣はことさら戦争を嫌ったという。
そして、だからこそ自由を強く望んだ。倉俣の空間、そして家具がもつ重力から解放された浮遊感は、そうした背景によるものも大きいのではないか。倉俣は自身のデザインを語る時に、記憶や夢を引き合いにだす。「今の意識は常に廻し続けられた未現像のフィルムと交流し交差し、時として周波数は同調し形(デザイン)に結びつく。」と倉俣は書いた。つまり自身のデザインはすぐに形になるのではなく、自身のなかで醸成され、記憶や思いなどと混じり合って形になるという。ポエティックなデザインゆえに言語化は難しく、それこそ記憶や夢、連綿と続く彼自身の意識と結びついて形になっていった。自身との対話をもって、時代を超えて新しくありつづけるデザインを提示した倉俣。「商業デザインの魅力は、一回性、消滅性、実験性、つまり幕間劇。」とも語った倉俣は自身の儚いデザインに意識的であったとされる。だからこその実験的な仕事の数々は倉俣だからこそ為しえた、まさに夢のようなデザインなのかもしれない。
ニューヨーク近代美術館、パリ装飾美術館、ポンピドゥーセンターなど、世界の錚々たるミュージアムに家具が収蔵され、2019年には香港のM+にかつて新橋にあったすし店「きよ友」のインテリアがそのまま移設、収蔵されたデザイナー、倉俣史朗。アクリルやガラスなどの透明な素材、そしてテラゾやエキスパンドメタルなどの建材や工業部材を用いた家具やインテリアの仕事は、没後30年を超えたいまも人々に新鮮な驚きを与え続けている。
倉俣は唯一の著作『未現像の風景−記憶・夢・かたち』で、幼いころの記憶を語っている。父が勤める理化学研究所の社宅に暮らした倉俣は、敷地内に散らばる薬瓶、資材や建材が転がる建築現場などが自身の原風景にあるという。こうした素材への興味が後の彼のデザインに影響を与えていったのではないかと倉俣自身は考察する。しかしそうした幼少期も戦争に伴う疎開で終わりを告げ、疎開先の農村で小学生時代を過ごした。疎開先でも空襲にあいながら、米軍の飛行機が降らせた電波妨害用の錫箔がサラサラと音を立てて降り注ぐ姿、そして月夜に照らされてキラキラ光る風景は幻想的だったと書く。ただそれは倉俣特有のレトリックではないか。疎開時の思い出をポジティブに語ってはいるが、倉俣はことさら戦争を嫌ったという。
そして、だからこそ自由を強く望んだ。倉俣の空間、そして家具がもつ重力から解放された浮遊感は、そうした背景によるものも大きいのではないか。倉俣は自身のデザインを語る時に、記憶や夢を引き合いにだす。「今の意識は常に廻し続けられた未現像のフィルムと交流し交差し、時として周波数は同調し形(デザイン)に結びつく。」と倉俣は書いた。つまり自身のデザインはすぐに形になるのではなく、自身のなかで醸成され、記憶や思いなどと混じり合って形になるという。ポエティックなデザインゆえに言語化は難しく、それこそ記憶や夢、連綿と続く彼自身の意識と結びついて形になっていった。自身との対話をもって、時代を超えて新しくありつづけるデザインを提示した倉俣。「商業デザインの魅力は、一回性、消滅性、実験性、つまり幕間劇。」とも語った倉俣は自身の儚いデザインに意識的であったとされる。だからこその実験的な仕事の数々は倉俣だからこそ為しえた、まさに夢のようなデザインなのかもしれない。
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