CULTURE
【本と名言365】黒田泰蔵|「私の円筒の理想は、「みるものでもなく、見せるものでもなく、持つものでもなく…」
October 28, 2023 | Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Keiko Kamijo illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。禅を感じる白磁の器で世界的アーティストとなった黒田泰蔵の代表作となる“円筒”に込めた思いとは。
私の円筒の理想は、「みるものでもなく、見せるものでもなく、持つものでもなく、まして持ってもらうものでもないのです」。
光の陰影を美しく表現する白磁の肌理(きめ)、轆轤(ろくろ)の回転と自身の手で生み出したシンプルな形の器。黒田泰蔵の白磁の器は、そこに置いてあるだけで静謐な時間が流れる。
「白磁は、私にとっては形態とか釉調だけではなく、一つの真理みたいなものかもしれない」(公式ウェブサイトより)と語っているが、黒田が真理である白磁にたどり着いたのは40代半ばのことだった。
黒田が生まれたのは1946年。手塚治虫の漫画に没頭し、『ロビンソンクルーソー』で冒険に憧れる少年であった。テディベアのぬいぐるみといった可愛いものが好きだったというのも、チャーミングな人柄から想像がつく。中学を卒業して工業高校の図案科へと進学した。兄でありグラフィックデザイナーの黒田征太郎からの影響もあり、デザイン界の人々とも交流があった。
20歳の頃、1966年に船で40日くらいかけてマルセイユへと渡航、現地で働き始める。そこで出会ったのが、濱田庄司の弟子である益子の陶芸家・島岡達三だ。島岡からの紹介で、カナダはモントリオールの美術学校ペンランド・スクール・オブ・クラフツの教授ゲータン・ボーダンのものへ行き、働き始める。
給料はもらわず何でもやるからただ置いて欲しいと頼み、皿洗いのアルバイトをした。誰にも気に留められず無視される存在だったが、なぜだか気持ちがよかった。後に「ある意味、物理的に『無』になれる(中略)。僕が一番白磁的だったのはあのとき」だと語っている。この時は、まだ陶芸をやろうとは考えていなかった。
21歳で焼き物を始めた黒田は、カナダと益子を行き来しながら二人の師匠に学び、様々な作風にチャレンジした。34歳の時に拠点を日本に移し、伊豆にアトリエを構え、ギャラリーで個展を開いた。周囲の評判はあれど、どの作風も長続きはしなかった。師匠の島岡からは「白磁は若い時にやるもんじゃない」と言われていたが、ずっと心の奥底には「白磁」があった。そして、45歳で本格的に白磁と向き合うことになった。
黒田の代表作とも言われるのが、《円筒》の作品だ。これが生まれたのは2012年だが、「実はずっと『円筒しかないな』と思っていた」と黒田。真っ白い紙を丸めて空中でスパッと切ったような、清々しい潔さを感じるかたちだ。
私の円筒の理想は「みるものでもなく、見せるものでもなく、持つものでもなく、まして持ってもらうものでもないのです」。という言葉に続けて、本当は、「見えるものでもなく、作るものでもないのです」と綴る。
黒田が目指す作品は「普通のもの」だという。「無」を感じる白磁を極め、自分の脳内で広がる風景としての《円筒》を作り続けた。黒田が最期に遺した作品集のタイトルは『Colorful』。黒田にとって、白は何もないのではない、すべての色を含んでいるのだ。そして筒は空っぽなのではない、すべてを含んだ宇宙なのだ。
光の陰影を美しく表現する白磁の肌理(きめ)、轆轤(ろくろ)の回転と自身の手で生み出したシンプルな形の器。黒田泰蔵の白磁の器は、そこに置いてあるだけで静謐な時間が流れる。
「白磁は、私にとっては形態とか釉調だけではなく、一つの真理みたいなものかもしれない」(公式ウェブサイトより)と語っているが、黒田が真理である白磁にたどり着いたのは40代半ばのことだった。
黒田が生まれたのは1946年。手塚治虫の漫画に没頭し、『ロビンソンクルーソー』で冒険に憧れる少年であった。テディベアのぬいぐるみといった可愛いものが好きだったというのも、チャーミングな人柄から想像がつく。中学を卒業して工業高校の図案科へと進学した。兄でありグラフィックデザイナーの黒田征太郎からの影響もあり、デザイン界の人々とも交流があった。
20歳の頃、1966年に船で40日くらいかけてマルセイユへと渡航、現地で働き始める。そこで出会ったのが、濱田庄司の弟子である益子の陶芸家・島岡達三だ。島岡からの紹介で、カナダはモントリオールの美術学校ペンランド・スクール・オブ・クラフツの教授ゲータン・ボーダンのものへ行き、働き始める。
給料はもらわず何でもやるからただ置いて欲しいと頼み、皿洗いのアルバイトをした。誰にも気に留められず無視される存在だったが、なぜだか気持ちがよかった。後に「ある意味、物理的に『無』になれる(中略)。僕が一番白磁的だったのはあのとき」だと語っている。この時は、まだ陶芸をやろうとは考えていなかった。
21歳で焼き物を始めた黒田は、カナダと益子を行き来しながら二人の師匠に学び、様々な作風にチャレンジした。34歳の時に拠点を日本に移し、伊豆にアトリエを構え、ギャラリーで個展を開いた。周囲の評判はあれど、どの作風も長続きはしなかった。師匠の島岡からは「白磁は若い時にやるもんじゃない」と言われていたが、ずっと心の奥底には「白磁」があった。そして、45歳で本格的に白磁と向き合うことになった。
黒田の代表作とも言われるのが、《円筒》の作品だ。これが生まれたのは2012年だが、「実はずっと『円筒しかないな』と思っていた」と黒田。真っ白い紙を丸めて空中でスパッと切ったような、清々しい潔さを感じるかたちだ。
私の円筒の理想は「みるものでもなく、見せるものでもなく、持つものでもなく、まして持ってもらうものでもないのです」。という言葉に続けて、本当は、「見えるものでもなく、作るものでもないのです」と綴る。
黒田が目指す作品は「普通のもの」だという。「無」を感じる白磁を極め、自分の脳内で広がる風景としての《円筒》を作り続けた。黒田が最期に遺した作品集のタイトルは『Colorful』。黒田にとって、白は何もないのではない、すべての色を含んでいるのだ。そして筒は空っぽなのではない、すべてを含んだ宇宙なのだ。
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