CULTURE
【本と名言365】アルネ・ヤコブセン|「最も重要なのは…」
October 25, 2023 | Culture | casabrutus.com | photo_Miyu Yasuda text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。北欧のモダンデザインを代表する家具の数々を生み出した建築家、アルネ・ヤコブセン。端正な美しさをもつ建築、家具、プロダクトで知られるヤコブセンの美学を支えるのは、いったいなんだったのか。
最も重要なのはプロポーションがきちんとしているかということです。
デンマーク家具の名作には家具職人の技術を応用したデザインが多く見られる。そのなかで抜群の知名度を誇りながら、他の家具とは一線を画した工業的合理性に基づく《セブンチェア》をデザインしたのが建築家のアルネ・ヤコブセンだ。《アントチェア》〈スワンチェア》《エッグチェア》など、アイコニックなデザインを数多く遺したヤコブセンの家具は、北欧に留まらず世界有数のベストセラーとしても知られる。
もともと画家志望だったというヤコブセンは父親からの強い反対でその道を諦めている。そんな彼に建築家の道を示したのが、幼なじみであったフレミング・ラッセンだ。デンマーク王立美術アカデミーで建築を学ぶなか、ヤコブセンはパリ万博のデンマーク館のためにデザインした椅子で早くも銀賞を受賞。独立後にはラッセンと「未来の家」をテーマとした設計コンペに参加して優勝し、その後もコペンハーゲン郊外の高級住宅地ベルビューに初期の代表作「ベラヴィスタ集合住宅」を共同で設計する。続けて設計したガソリンスタンドや劇場とそれに付帯するレストランなど、ベルビューに並ぶヤコブセン初期の傑作群はいまも現役で活躍する。しかしデンマークがナチス・ドイツに占領され、ユダヤ人のヤコブセンは友人のポール・ヘニングセンとともにスウェーデンへ亡命。現地ではアルヴァ・アアルトの助けも借りて、終戦まで過ごしている。
ヤコブセンが家具をデザインしはじめるのは戦後のことだ。1952年に世界で初めて、三次元曲線の成形合板を用いて座と背を一体化した椅子《アントチェア》を発表する。先行するチャールズ&レイ・イームズ夫妻のシェルチェアがなしえなかった表現を、割れ目が入ってしまう曲げ部分にデザイン的なくびれを設けることで解決。これが《セブンチェア》に発展する。《スワンチェア》《エッグチェア》も当時の最新素材であった硬質発泡ウレタンを用いたもので、木製椅子が主流の時代に新たな表現の椅子を提示した名作だ。ヤコブセンはこうして北欧家具に新たなデザインの可能性を切り拓いていったが、本人は「欲しい椅子があれば買うだけで、誰がデザインしたかは関係ない」と至って冷静だった。
なによりヤコブセンは総合的なデザイン力に優れており、照明器具、カトラリー、水栓器具、ドアノブ、時計などもともにデザインした〈SASロイヤルホテル〉〈デンマーク国立銀行〉といった名作建築もよく知られる。そんなヤコブセンは「最も重要なのはプロポーションがきちんとしているかということです」との言葉を遺している。モダンデザインを推進した彼は意外にも古典建築に目を向け、ギリシア、バロック、ルネサンス、そして同時代の名作建築に共通するのはプロポーションの美しさであると言った。家具は先述したようにイームズ夫妻の影響も見られ、建築と家具を統合した考えはミース・ファン・デル・ローエの影響にあるともいう。そのうえで自身の統合的なデザインを作り上げていったヤコブセンは、そのデザインを唯一無二のものへと昇華させる類い希なる力を持っていたのだ。
デンマーク家具の名作には家具職人の技術を応用したデザインが多く見られる。そのなかで抜群の知名度を誇りながら、他の家具とは一線を画した工業的合理性に基づく《セブンチェア》をデザインしたのが建築家のアルネ・ヤコブセンだ。《アントチェア》〈スワンチェア》《エッグチェア》など、アイコニックなデザインを数多く遺したヤコブセンの家具は、北欧に留まらず世界有数のベストセラーとしても知られる。
もともと画家志望だったというヤコブセンは父親からの強い反対でその道を諦めている。そんな彼に建築家の道を示したのが、幼なじみであったフレミング・ラッセンだ。デンマーク王立美術アカデミーで建築を学ぶなか、ヤコブセンはパリ万博のデンマーク館のためにデザインした椅子で早くも銀賞を受賞。独立後にはラッセンと「未来の家」をテーマとした設計コンペに参加して優勝し、その後もコペンハーゲン郊外の高級住宅地ベルビューに初期の代表作「ベラヴィスタ集合住宅」を共同で設計する。続けて設計したガソリンスタンドや劇場とそれに付帯するレストランなど、ベルビューに並ぶヤコブセン初期の傑作群はいまも現役で活躍する。しかしデンマークがナチス・ドイツに占領され、ユダヤ人のヤコブセンは友人のポール・ヘニングセンとともにスウェーデンへ亡命。現地ではアルヴァ・アアルトの助けも借りて、終戦まで過ごしている。
ヤコブセンが家具をデザインしはじめるのは戦後のことだ。1952年に世界で初めて、三次元曲線の成形合板を用いて座と背を一体化した椅子《アントチェア》を発表する。先行するチャールズ&レイ・イームズ夫妻のシェルチェアがなしえなかった表現を、割れ目が入ってしまう曲げ部分にデザイン的なくびれを設けることで解決。これが《セブンチェア》に発展する。《スワンチェア》《エッグチェア》も当時の最新素材であった硬質発泡ウレタンを用いたもので、木製椅子が主流の時代に新たな表現の椅子を提示した名作だ。ヤコブセンはこうして北欧家具に新たなデザインの可能性を切り拓いていったが、本人は「欲しい椅子があれば買うだけで、誰がデザインしたかは関係ない」と至って冷静だった。
なによりヤコブセンは総合的なデザイン力に優れており、照明器具、カトラリー、水栓器具、ドアノブ、時計などもともにデザインした〈SASロイヤルホテル〉〈デンマーク国立銀行〉といった名作建築もよく知られる。そんなヤコブセンは「最も重要なのはプロポーションがきちんとしているかということです」との言葉を遺している。モダンデザインを推進した彼は意外にも古典建築に目を向け、ギリシア、バロック、ルネサンス、そして同時代の名作建築に共通するのはプロポーションの美しさであると言った。家具は先述したようにイームズ夫妻の影響も見られ、建築と家具を統合した考えはミース・ファン・デル・ローエの影響にあるともいう。そのうえで自身の統合的なデザインを作り上げていったヤコブセンは、そのデザインを唯一無二のものへと昇華させる類い希なる力を持っていたのだ。
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