ART
あいみょんが感動した岡本太郎のジャンルを超える作品と多才さとは?
『カーサ ブルータス』2021年6月号より
August 27, 2022 | Art | photo_Takemi Yabuki (W) styling_Masataka Hattori hair & make-up_Masaki Sugaya text_Sawako Akune cooperation_Yoshinao Yamada spcial thanks to TARO OKAMOTO MUSEUM of ART KAWASAKI
岡本太郎の最初期から晩年までの作品を網羅する史上最大のTARO展『展覧会 岡本太郎』が〈大阪中之島美術館〉よりスタート! 本展は〈川崎市岡本太郎美術館〉と〈岡本太郎記念館〉が主催者として参画。及び、同美術館が所蔵する《明日の神話》が展覧会にて展示中ということで、『Casa BRUTUS』2021年6月号の特集『岡本太郎とあいみょん』より、あいみょんが〈川崎市岡本太郎美術館〉を訪れた記事と渋谷駅の巨大壁画を前にしたカットを特別に公開! 岡本太郎が亡くなる前年に生まれ、〈太陽の塔〉の下でライブをするのが夢、と公言するあいみょんが語るTAROとは?
●何をつくっても圧倒的な才能がある人やったんやなと思います。
広々とした公園にある〈川崎市岡本太郎美術館〉に着くなり、「実はこの間来たばっかりなんです!」と、あいみょん。気になる企画展があるたびに、ちょっと時間のあるときに……となかなかヘビーなリピーターの様子。
「普通に電車に乗って来ています。この辺りの雰囲気も好き。駅から公園の緑の中を歩いていくのが楽しいんですよね」
1999年開館のこの美術館、神奈川県川崎市の生田緑地という広大な緑地の中に建つ。川崎市は、実は太郎にとってゆかりの深い土地。母・かの子の実家があった川崎市は出生地で、子ども時代に過ごした記憶もあったそう。そんな縁から、太郎は生前の1991年から1993年にかけて、約1800点の作品を川崎市に寄贈する。これを機に太郎の作品を展示する美術館の構想が始まったのだ。
残念ながら太郎は1996年にこの世を去り、1999年の開館を見ることはなかった。とはいえ館のシンボルタワーでもあるパブリックアート《母の塔》や、展示される作品には、太郎の熱意と創意のほとばしりを大いに感じることができる。
「普通に電車に乗って来ています。この辺りの雰囲気も好き。駅から公園の緑の中を歩いていくのが楽しいんですよね」
1999年開館のこの美術館、神奈川県川崎市の生田緑地という広大な緑地の中に建つ。川崎市は、実は太郎にとってゆかりの深い土地。母・かの子の実家があった川崎市は出生地で、子ども時代に過ごした記憶もあったそう。そんな縁から、太郎は生前の1991年から1993年にかけて、約1800点の作品を川崎市に寄贈する。これを機に太郎の作品を展示する美術館の構想が始まったのだ。
残念ながら太郎は1996年にこの世を去り、1999年の開館を見ることはなかった。とはいえ館のシンボルタワーでもあるパブリックアート《母の塔》や、展示される作品には、太郎の熱意と創意のほとばしりを大いに感じることができる。
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