ART
〈追悼クリスト〉世界を包んだ二人から教えてもらったこと。
『カーサ ブルータス』2020年9月号より
August 14, 2020 | Art | a wall newspaper | text_Mami Iida editor_Yuka Uchida
世界各地で数々の大規模アートプロジェクトを実現したクリスト。最愛のパートナーと求めた自由とは。
5月31日、クリストが他界した。大きな布で包まれる建造物、里地や丘陵に広がるたくさんの傘、長い浮橋で繋がれた島々など、世界を舞台にその場に身を置いて体験するアートを発表してきた。パリでは今年、ポンピドゥーセンターでの回顧展と、1985年にポンヌフ橋を包んで以来の大型プロジェクトとして凱旋門を梱包する計画を発表。しかしコロナ禍でそれぞれ延期になっていた。
1935年同月同日に生まれた妻で、後に共同制作者となるジャンヌ=クロード(2009年他界)とは、23歳の時にパリで出会った。共産主義のブルガリアから亡命したクリストが生活費のために上流階級の夫人の肖像画を描きに行き、その夫人の娘がジャンヌ=クロードだった。初めて彼のアパートを訪れた彼女は驚いた。絵画や彫刻、建築を学んだクリストの小さな部屋は、大量の梱包されたオブジェで埋め尽くされていたのだ。
58年から60年代前半、クリストはパリで初めて自由を手にする。前衛美術グループ「ヌーヴォー・レアリスム」に加わり、日常に溢れる工業品や自分が描いた絵画を包んで発表した。また、トロカデロ広場の彫刻を包んだりパリ6区のヴィスコンティ通りをドラム缶の壁で閉鎖したり、街頭に出て、社会問題をアートに置換した。
1935年同月同日に生まれた妻で、後に共同制作者となるジャンヌ=クロード(2009年他界)とは、23歳の時にパリで出会った。共産主義のブルガリアから亡命したクリストが生活費のために上流階級の夫人の肖像画を描きに行き、その夫人の娘がジャンヌ=クロードだった。初めて彼のアパートを訪れた彼女は驚いた。絵画や彫刻、建築を学んだクリストの小さな部屋は、大量の梱包されたオブジェで埋め尽くされていたのだ。
58年から60年代前半、クリストはパリで初めて自由を手にする。前衛美術グループ「ヌーヴォー・レアリスム」に加わり、日常に溢れる工業品や自分が描いた絵画を包んで発表した。また、トロカデロ広場の彫刻を包んだりパリ6区のヴィスコンティ通りをドラム缶の壁で閉鎖したり、街頭に出て、社会問題をアートに置換した。
64年、二人はNYのソーホーに住居兼アトリエを構える。以降、二人が追求した「楽しさ」と「美しさ」を多くの人と共有するために、各地の屋外空間でプロジェクトを展開。そうした感情はしばし儚いものだと、作品はごく短い期間を経て消え去った。また驚くのは、壮大なアイデアの実現をすべて自分たちで行っていたこと。設営許可の申請に始まり、現場に負荷をかけない方法論や資材選定とその再利用、設営・撤去……。その過程で大勢の関係者や鑑賞者との対話を記録し、「環境芸術」や「協働型アート」とも評された。
2005年の冬、二人はセントラルパークに7500の門を設置する作品《ゲート》の準備中だった。彼らのアトリエには、5階に住居、下階にショールームもあり、「何のためのショールームか?」と聞くと、「国や省庁の助成や企業協賛には一切頼らずにプロジェクトを実現するため、構想デッサンやコラージュをコレクターに売るからだ」と言った。「なぜ頼らないのか?」と続けると、「アートが自分たちの中から出てくる衝動であり続けるため、自由であり続けるため」と、優しい表情だが強い決意を込めた眼で答えた。
2005年の冬、二人はセントラルパークに7500の門を設置する作品《ゲート》の準備中だった。彼らのアトリエには、5階に住居、下階にショールームもあり、「何のためのショールームか?」と聞くと、「国や省庁の助成や企業協賛には一切頼らずにプロジェクトを実現するため、構想デッサンやコラージュをコレクターに売るからだ」と言った。「なぜ頼らないのか?」と続けると、「アートが自分たちの中から出てくる衝動であり続けるため、自由であり続けるため」と、優しい表情だが強い決意を込めた眼で答えた。
世界を舞台に、異なる宗教や思想、歴史的背景を持つ人々を説得し、一人(二人)の現代アーティストの自由な発想を公共で実現することの難しさは計り知れない。未完の企画は、実現した企画の倍にもなる。2017年、トランプ政権発足に抗議して、25年間で20億円近くもかけて準備してきたコロラド州アーカンソー川での計画を断念したことも記憶に留めたい。
冒頭のポンピドゥーセンターの展覧会はロックダウン解除の後7月1日に始まり、クリストが亡くなる2日前にも電話をしたというブリステン館長は次のように偲んだ。「クリストは、ブラッディメアリーを飲みながら1958年のパリについてよく語ってくれました。亡命して辿り着いたパリはアルジェリア戦争の最中。またしても戦車を拝むことになるなんて、と。夢を抱いて移住したアメリカでも苦渋は続きました。クリストの偉業は簡単には真似できませんが、他者を自分のストーリーに巻き込む力、議論を重ねて解決する力、権威に服従せず自由な発想で作品を制作することは重要です。困難な時代にこそ、我々がクリストから学ぶことは多くあるのです」
凱旋門を包むプロジェクトは来秋に実現予定だ。
冒頭のポンピドゥーセンターの展覧会はロックダウン解除の後7月1日に始まり、クリストが亡くなる2日前にも電話をしたというブリステン館長は次のように偲んだ。「クリストは、ブラッディメアリーを飲みながら1958年のパリについてよく語ってくれました。亡命して辿り着いたパリはアルジェリア戦争の最中。またしても戦車を拝むことになるなんて、と。夢を抱いて移住したアメリカでも苦渋は続きました。クリストの偉業は簡単には真似できませんが、他者を自分のストーリーに巻き込む力、議論を重ねて解決する力、権威に服従せず自由な発想で作品を制作することは重要です。困難な時代にこそ、我々がクリストから学ぶことは多くあるのです」
凱旋門を包むプロジェクトは来秋に実現予定だ。
『クリスト&ジャンヌ=クロード パリ!』展
〈ポンピドゥーセンター〉
Place Georges Pompidou, 75004 Paris. TEL (33) 1 44 78 12 33。11時〜21時(木〜23時)。火曜休。14ユーロ。〜10月19日。