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豊臣秀吉の2つの茶室を、佐賀県立名護屋城博物館で体感する。
| Architecture, Design, Travel | PR | photo_Kenya Abe text_Akio Mitomi
豊臣秀吉ゆかりの地に建つ〈佐賀県立名護屋城博物館〉は、特別史跡の保存整備と日韓の学術・文化の交流拠点。中でも注目は、名護屋城に存在した2つの茶室の復元展示です。
開館から32年目を迎えた〈佐賀県立名護屋城博物館〉は、文禄・慶長の役(1592〜93年、97〜98年)に備えて、91年に豊臣秀吉が築城を開始した、桃山時代最大級の城の名を冠するミュージアムだ。
肥前名護屋城跡と全国から集まった150を超える諸大名の陣跡のうち23か所からなる国の特別史跡「名護屋城跡並陣跡」の保存整備と、日本列島と朝鮮半島の交流史を調査・研究・展示し、日韓の学術・文化の交流拠点とするため、前川建築設計事務所により設計された建築である。
当時の担当者の1人、前川國男建築設計事務所取締役・濱興治に、設計意図を改めて聞いた。
「初めて現地を訪れた際に、全国の名だたる大名が陣屋を構えていた絵図を見て驚きました。イメージが広がると同時に、晴れた日には天守跡から壱岐や対馬まで見渡せる。こんないい仕事ができることは二度とない、というのが最初の意気込みでした」
肥前名護屋城跡と全国から集まった150を超える諸大名の陣跡のうち23か所からなる国の特別史跡「名護屋城跡並陣跡」の保存整備と、日本列島と朝鮮半島の交流史を調査・研究・展示し、日韓の学術・文化の交流拠点とするため、前川建築設計事務所により設計された建築である。
当時の担当者の1人、前川國男建築設計事務所取締役・濱興治に、設計意図を改めて聞いた。
「初めて現地を訪れた際に、全国の名だたる大名が陣屋を構えていた絵図を見て驚きました。イメージが広がると同時に、晴れた日には天守跡から壱岐や対馬まで見渡せる。こんないい仕事ができることは二度とない、というのが最初の意気込みでした」
前川國男から引き継いだ当時の所長・田中清雄がグランドデザインを描き、4名の所員が担当となったという。
「常設展示室は名護屋城や歴史の要素がひと目でわかるような大空間とし、壁面を雁行プランとしました。これは前川國男が設計した〈熊本県立美術館〉などで取り入れた、展示室を雁行して繋いでいく動線設計をひとつの空間にしたものです」
その常設展示は「特別史跡名護屋城跡並陣跡」「名護屋城以前」「歴史の中の名護屋城」「名護屋城以後」の4コーナーで構成され、名護屋城跡や陣跡の特徴と原始古代から続く朝鮮半島との交流の歴史を概観できる。
「朝鮮半島との交流史をテーマとした博物館なので、エントランス内外の床では、黒御影石を主に玄界灘の波を表現しました。また研究室や事務室、収蔵庫が入る1階の外壁には、韓国産の白御影石を用いています」
博物館のために用意された用地は、秀吉の義甥・木下延俊の陣跡の裾野部分に造成した細長い敷地で、ボリュームは低く抑えられた。ここで今、注目を集めているのが、秀吉の茶室を復元した〈黄金の茶室〉と〈草庵茶室〉だ。
「常設展示室は名護屋城や歴史の要素がひと目でわかるような大空間とし、壁面を雁行プランとしました。これは前川國男が設計した〈熊本県立美術館〉などで取り入れた、展示室を雁行して繋いでいく動線設計をひとつの空間にしたものです」
その常設展示は「特別史跡名護屋城跡並陣跡」「名護屋城以前」「歴史の中の名護屋城」「名護屋城以後」の4コーナーで構成され、名護屋城跡や陣跡の特徴と原始古代から続く朝鮮半島との交流の歴史を概観できる。
「朝鮮半島との交流史をテーマとした博物館なので、エントランス内外の床では、黒御影石を主に玄界灘の波を表現しました。また研究室や事務室、収蔵庫が入る1階の外壁には、韓国産の白御影石を用いています」
博物館のために用意された用地は、秀吉の義甥・木下延俊の陣跡の裾野部分に造成した細長い敷地で、ボリュームは低く抑えられた。ここで今、注目を集めているのが、秀吉の茶室を復元した〈黄金の茶室〉と〈草庵茶室〉だ。
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