ARCHITECTURE
テレンス・コンラン卿に聞きました「デザインは社会を変えると次世代に伝えていきたい」
January 30, 2017 | Architecture, Design, Travel | ロンドンデザインミュージアム | photo_Haruko Tomioka text_Megumi Yamashita
半世紀以上にわたり、ショップやレストラン、ホテルの経営などを通し、デザイン界をリードしてきたテレンス・コンラン卿。中でも、〈デザインミュージアム〉の移転は、人生の集大成となるものだ。
Q 悲願の移転、本当におめでとうございます。ミュージアム創設された理由からお聞かせください。
A 生活向上のためにも、経済発展のためにも、社会を変えていくためにも、デザインは重要であることを伝えたかったからです。私が社会に出た頃は戦後の復興期で、デザイナーは商業アーティストと呼ばれていたり、デザインへの認識は低いものでした。
Q 1964年にインテリアショップ〈ハビタ〉を開店されました。
A 当時、自分でデザインしたモダンな家具を売る店がなかったので。おかげで大成功し、その株式公開で得た資金で〈コンラン・ファンデーション〉を設立しました。これをもとに82年から4年間、ヴィクトリア&アルバート博物館地下の元ボイラー室で、モダンデザインの展示を主催しました。
Q それが〈デザインミュージム〉に発展したのですね?
A ええ。テムズ川沿いにある倉庫街の再開発を兼ね、元バナナ倉庫をモダニズム調に増改築し、89年にオープンしました。基本的に私のやってきたことは、欲しいものがないから自分で作った、ということです。レストランやホテルも同じ理由で始めました。
Q 旧館はどうなりましたか?
A ザハ・ハディドが買い取り、彼女のアーカイブなどの展示館になると聞いています。急逝は残念でした。売却金は新ミュージアムの建設費として寄贈しました。
Q 展示に関しては?
A 過去の展示だけでなく、未来に向けた展示を目指しています。世界中から優れた作品やアイデアを集め、デザインの力で社会を改善できると世界に発信したい。もはや政治は頼りになりませんから。
A 生活向上のためにも、経済発展のためにも、社会を変えていくためにも、デザインは重要であることを伝えたかったからです。私が社会に出た頃は戦後の復興期で、デザイナーは商業アーティストと呼ばれていたり、デザインへの認識は低いものでした。
Q 1964年にインテリアショップ〈ハビタ〉を開店されました。
A 当時、自分でデザインしたモダンな家具を売る店がなかったので。おかげで大成功し、その株式公開で得た資金で〈コンラン・ファンデーション〉を設立しました。これをもとに82年から4年間、ヴィクトリア&アルバート博物館地下の元ボイラー室で、モダンデザインの展示を主催しました。
Q それが〈デザインミュージム〉に発展したのですね?
A ええ。テムズ川沿いにある倉庫街の再開発を兼ね、元バナナ倉庫をモダニズム調に増改築し、89年にオープンしました。基本的に私のやってきたことは、欲しいものがないから自分で作った、ということです。レストランやホテルも同じ理由で始めました。
Q 旧館はどうなりましたか?
A ザハ・ハディドが買い取り、彼女のアーカイブなどの展示館になると聞いています。急逝は残念でした。売却金は新ミュージアムの建設費として寄贈しました。
Q 展示に関しては?
A 過去の展示だけでなく、未来に向けた展示を目指しています。世界中から優れた作品やアイデアを集め、デザインの力で社会を改善できると世界に発信したい。もはや政治は頼りになりませんから。
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