ミラクルな「奇想の系譜」の系譜|鈴木芳雄「本と展覧会」 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

ミラクルな「奇想の系譜」の系譜|鈴木芳雄「本と展覧会」

開催中の『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』が盛況だ。21世紀に入って、日本美術のファンは確実に増えているが、その現象に大きく貢献したのは、この展覧会に出ているような伊藤若冲ら、奇想の画家たちの仕事だ。こんなスゴい絵が200年以上前に描かれていたなんて。

曽我蕭白《群仙図屏風》紙本著色、六曲一双、文化庁蔵、重要文化財。本展に出ている作品の中でも、最も驚かされるもののひとつ。あまりにも過激で、独特すぎて、描かれた当時は飾られずそのまま仕舞われてしまったのではないかと思われるほど状態がいい。絵具の色もほとんど褪せていないように見える。
「奇想の系譜」と聞いて、何を連想するだろう。なんらかのジャンルの系譜を語っているにしても、何のジャンル? 音楽か、文学か。どこにも本流があり、独自の道を行くちょっと変わった「奇想」はあるだろう。ここでいうのは絵画だ。しかも、ある国のある時代のある特徴を持った画家たちの話なのである。

因襲の殻から抜け出している。伝統に流されず、自由で斬新である。観る者の意表を突き、思い込みや日常から違う世界を見せてくれる。そんな画家たち、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳ら6名を取り上げ、紹介したのが美術史家・辻惟雄が約半世紀前に上梓した『奇想の系譜』である。

ひと言で言えば、専門家以外にはほとんど知られていないけれども、「こんな面白い画家がいるぞ」というのがその本の内容だった。「異端」「傍流」でもなく、「逸脱」「奇抜」でもない。「奇想」と規定した言葉選びがともかく秀逸だ。登場する絵画を一つのジャンルのようにまとめて説明したことが、彼らの絵がこれほどまでに愛されるようになった発端となる。出版からほぼ50年経った今、「奇想」であり、見ようによっては「異端」「傍流」「逸脱」の画家たちはいつのまにか日本美術の展覧会になくてはならない千両役者のようである。

本記事では書誌的に「奇想の系譜」を見ていきながら、また、登場する画家たちがスターになっていった経緯を追うことにしよう。
「奇想の系譜・江戸のアヴァンギャルド」が連載された『美術手帖』1968年7月号〜12月号(美術出版社)。
辻惟雄が雑誌『美術手帖』に独自の選定による奇想の画家たちの評伝を連載したのが「奇想の系譜」の始まりである。『美術手帖』1968年7月号目次には「新連載 奇想の系譜・江戸のアヴァンギャルド(1)浮世又兵衛(上)―辻惟雄」とある。そしてそのページを引くとさらに、「血染めのユーモア」とのタイトルが付けられている。2年後、この連載は書籍『奇想の系譜』にまとめられるが、この章のタイトルは「憂世と浮世」に変更されている。惨殺シーンを描いた《山中常盤物語絵巻》から「血染め」という語が出てきたのはわかるが、「ユーモア」は行き過ぎと判断したのだろうか。タイトルの変更に伴い、「浮世又兵衛」も「岩佐又兵衛」に変わっている。
単行本収録時、岩佐又兵衛の章は「憂世と浮世」となるが、当初は「浮世又兵衛」「血染めのユーモア」だった。
『美術手帖』1968年10月号では「伊藤若冲 幻想の博物誌」。生き物を描き尽くそうとした若冲の絵は博物画的だと展開する。
『美術手帖』1968年12月号では「歌川国芳 幕末浮世絵七変化」。単行本収録時には「幕末飼い猫変化」と改められている。
単行本収録時、岩佐又兵衛の章は「憂世と浮世」となるが、当初は「浮世又兵衛」「血染めのユーモア」だった。
『美術手帖』1968年10月号では「伊藤若冲 幻想の博物誌」。生き物を描き尽くそうとした若冲の絵は博物画的だと展開する。
『美術手帖』1968年12月号では「歌川国芳 幕末浮世絵七変化」。単行本収録時には「幕末飼い猫変化」と改められている。
続く『美術手帖』1968年8月号(連載2回目)では「浮世又兵衛(下)」、9月号で「狩野山雪」、10月号で「伊藤若冲」、11月号で「曽我蕭白」(このときすでに「曾我」ではなく「曽我」表記)、12月号で「歌川国芳」(これも「國芳」ではない)を掲載し、全6回、全5名で完結している。誌面ラインナップを見ると、日本美術を取り扱ったページはほとんどないが、この連載には文章と図版合わせ各回7〜11ページを割いている。
伊藤若冲《紫陽花双鶏図》。絹本着色、一幅、139.4×85.1cm、米国・エツコ&ジョー・プライスコレクション 。
伊藤若冲の章を読んでいくと、生き物を描き尽くそうとしたのは、「すべてのものは仏性を宿している」という仏教の教えがもとになっているという説明よりも強調されているのは、博物画的に描かれたという話と、絵そのものの面白さである。さらにアンリ・ルソーの名まで挙げ、ともに「純心な(ママ)画家の眼がそこに発見できるのではないか」と書いている。これは、日本美術よりも西洋美術に重点を置く、『美術手帖』への掲載ということを意識した結果かもしれない。