横尾忠則インタビュー:「奇想の系譜」との出会い。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

横尾忠則インタビュー:「奇想の系譜」との出会い。

曽我蕭白を引用した作品があるなど、奇想の画家とは何かと縁の深い横尾忠則。現在、〈東京都美術館〉で開催中の『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』ではスペシャルヴィジュアルの制作を担当した。展覧会の元になった辻惟雄著『奇想の系譜』が1970年に出版された時、すぐに買って読んだという。後年、横尾は多摩美術大学大学院で教授を務めることになるが、そのときの学長が辻だった。成城にある横尾アトリエを訪ねて話を聞いた。

「絵本と浮世絵から日本の美術に入ったんです」と、横尾さん。
『奇想の系譜』が出て、買って読んだのですが、そのときは知らない作家がほとんどでした。知っていたのは(歌川)国芳くらいですね。すごくマイナーに見えました。今は大メジャーになった画家たちも、あの当時はマイナーで。

当時、僕は(葛飾)北斎や(歌川)広重が好きで、ちょっと変わったところで、国芳、(月岡)芳年とか。だけど、『奇想の系譜』に出てくる人たち、(曾我)蕭白も(伊藤)若冲も知らなかったんです。浮世絵って割とポピュラーでしょ。芳年にしても、あの頃、日本国内での評価は低かったけれども僕は知っていて好きでした。

でも、この『奇想の系譜』が取り上げた画家たちを認識してなかったですね。今では知らない人がいないくらいメジャーな画家たちばかりですけど。

日本の古典的な絵を僕たちは浮世絵から入ったんです。それで江戸時代に興味を持ちました。歴史的背景そのものはともかく、そこで生まれた産物である美意識というか、そこからまず入っていった。それはなぜなのかと言われてもよくわからないんだけど、もしかしたら、子どもの頃、講談社の絵本で、宮本武蔵や新田義貞とか、木村重成とかそういう歴史的な人の本をずっと見てたことがあったからかもしれない。大人になって、1970年に『少年マガジン』の表紙を担当したときも、講談社の絵本の斎藤五百枝の絵を引用したりしてね。
横尾がグラフィックデザイナーとして表紙を手がけた1冊(『少年マガジン』1970年35号/8月23日号)
だから、僕の中ではっきり論理的に整理できないけれども、無秩序な状態でそういうものが感覚的に入ってきたんでしょう。知識もないし、教養もないんだから、あとは感覚に頼るしかないわけだから。

それは僕が正規の美術教育を受けたことがないとか、美術大学に行かなかったために、独学せざるをえなかったということと関係ありますね。大学に行けば、系列立てて美術史を教えてくれるでしょう。それがないから、あっちへ飛んだり、こっちへ飛んだり、つまみ食い的に興味を持って、そのつまみ食いがやっと今になって、ひとつの、なんていったらいいのかな、僕の中の個人的な美術史ができてきたんですよね。
横尾忠則×奇想の系譜展 スペシャルヴィジュアル《奇想の系譜》 油彩 キャンヴァス 2019年

●『奇想の系譜展』監修の山下裕二が振り返る、横尾忠則とのシンクロニシティ。

忘れもしない、1970年のこと。12歳の私は、愛読していた『少年マガジン』の表紙が、突然ガラッと変わったことに驚いた。デザインしたのは、兄から教えてもらった横尾忠則という人。以来、私は熱烈な横尾ファンになったのだった。

そんな少年が大学生になり、美術史学科に進学した。先輩に勧められて、辻惟雄著『奇想の系譜』を古書店で買い求め、若冲、蕭白、芦雪などの作品に初めて接した。そして、この本が1970年に刊行されたものであることを知った。この不思議なシンクロニシティに、いま、あらためて思いを致している。

1998年、辻先生が館長だった〈千葉市美術館〉で、『江戸の鬼才 曽我蕭白展』が開催された。その会場に、横尾さんが蕭白作品を引用した作品が展示されていた。それからさらに20年、この『奇想の系譜』展のスペシャル・イメージとして、横尾さんに新作をつくっていただくことになった。