瀧口修造が見出した岡上淑子の奇蹟|鈴木芳雄「本と展覧会」 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

瀧口修造が見出した岡上淑子の奇蹟|鈴木芳雄「本と展覧会」

いま観に行くことができる話題の展覧会を、新旧の本とともに独自の視点で読み解く連載がスタート! 初回は、戦後、ひとりの女学生が始めたコラージュとその才能を見出した瀧口修造の邂逅を取り上げます。

《夜間訪問》©Okanoue Toshiko, 東京国立近代美術館蔵
「(鳥の)羽並み[プリュマージュ]を作るものは羽[プリュム]であるが、コラージュを作るのはコル(糊)ではない」――マックス・エルンスト

第二次世界大戦後、進駐軍が処分したグラフ誌やファッション雑誌、『LIFE』や『VOGUE』や『Harper’s BAZAAR』を素材にシュルレアリスム的なコラージュを作った日本人がいたなんて。そしてそのクオリティの高さ、魅力は一層の驚きと感動によって迎えられた。

岡上淑子(1928年〜)は戦後、文化学院デザイン科で学んでいた。その課題として出たちぎり絵をきっかけにして、コラージュ的作品を作るようになる。

登場する女性たちは当時最先端のファッションに身を包んではいるが、たいてい首がなかったり、すげかわっている。背景になっているのは敗戦国日本からはほど遠い立派な風景であったり、豪華なインテリアの部屋だったり、あるいは戦争は終わっているはずなのに戦闘を思わせるシーンだったり。
《予感》©Okanoue Toshiko, 高知県立美術館蔵
《幻想》©Okanoue Toshiko, 個人蔵
《懺悔室の展望》©Okanoue Toshiko, ヒューストン美術館蔵
《予感》©Okanoue Toshiko, 高知県立美術館蔵
《幻想》©Okanoue Toshiko, 個人蔵
《懺悔室の展望》©Okanoue Toshiko, ヒューストン美術館蔵
ともかく、現実離れした情景が次々に展開されて、まさにそれは超現実的なのだが、岡上は実はシュルレアリスムはもとより、シュールという言葉も知らなかったという。
《会議》©Okanoue Toshiko, ヒューストン美術館蔵
《沈黙の奇蹟》©Okanoue Toshiko, 東京都写真美術館蔵
《轍》©Okanoue Toshiko, 高知県立美術館蔵
《会議》©Okanoue Toshiko, ヒューストン美術館蔵
《沈黙の奇蹟》©Okanoue Toshiko, 東京都写真美術館蔵
《轍》©Okanoue Toshiko, 高知県立美術館蔵
文化学院に上がるよりも前、戦中、岡上は東洋英和女学校(現:東洋英和女学院中学部。戦時中名は東洋永和女学校)から恵泉女学園高等部家事科に進んだ。このとき岡上は武満浅香(旧姓・若山浅香)とクラスメートになる。彼女こそ後に、芸術家集団「実験工房」のメンバーだった作曲家の武満徹の妻になる人であり、岡上を武満徹へ繋いでくれた友。そして武満は瀧口修造への橋渡しをすることになるのだ。

趣味で作っていたコラージュ作品が日本におけるシュルレアリスムの紹介者である美術評論家、美術家の瀧口修造のもとに辿りついた。瀧口はそれを見て、岡上に「面白いですね。続けてごらんなさい。できたらまた見せてください」と言ったのだという。そして、何度か瀧口のもとに通ううちに、マックス・エルンストの画集を見せてくれた。
《水族館》©Okanoue Toshiko, 栃木県立美術館蔵
1953年、瀧口は岡上に神田駿河台下にあった〈タケミヤ画廊〉で個展をすることを勧める。当時、瀧口はこの画廊で新人作家紹介を担当しており、人選交渉一切を依頼され、無償を条件に引き受けていた。展覧会の回数は実に208回に及んだ。作家の中には若き日の草間彌生や靉嘔、前田常作や山口勝弘もいる。その中でも岡上淑子は異色の作家で、瀧口は個展の案内状にこんなことを書いている。

「岡上さんは画家ではありません。若いお嬢さんです。獨りでこつこつグラフ雑誌の切抜きをコラージュ(貼合せ)して夢そのものを描きました」

当事者の岡上としては、展覧会なんて考えてもいなかったので本当に驚いたという。嬉しかったけれど不安の方が先で、両親にも反対されたけれどもそれを押し切り、実現にいたった。