ART
吉田実香のNY通信|アメリカの美術館では29年ぶり! アンディ・ウォーホル回顧展が始まりました。
| Art, Culture, Travel | casabrutus.com | photo_Emmy Park text_Mika Yoshida & David G. Imber
故郷のピッツバーグ時代から、最晩年まで。アンディ・ウォーホルのキャリアを総ざらいする展覧会がNYでスタートしました。ウォーホル初心者はもちろん、詳しい人も発見続々。
〈ホイットニー美術館〉が4年前、現在のハイライン地区へ移って以来、単独アーティストの展覧会としては最大規模となる『アンディ・ウォーホル - From A to B and Back Again』。ピッツバーグにあるアンディ・ウォーホル美術館はじめ、100を越す国内外の美術館やギャラリー、個人の所蔵作品およそ350点が展示されている。
「まずは5階からスタートして頂きたい」と語るのは、館長のアダム・ワインバーグ。まずは巨大なカモフラージュ柄の《最後の晩餐》に出迎えられ、《牛の壁紙》に配置された《花》の部屋があるかと思えば、次のギャラリーでは高さ4.5mもの《毛沢東》がこちらを見おろす。そして《ブリロ・ボックス》や《マリリン・モンロー》など、ウォーホルと聞いて人々が連想するポップアートの「ヒットメドレー」が、まずは次々現れる。
ワインバーグ館長は「ウォーホルで驚かせるのは難しい」と語る。なにせ誰でも名前だけは知っているアーティストだ。《キャンベル・スープ缶》や《コカ・コーラ》でウォーホルを知っているつもりの人々も、彼の創作の多彩さや、それぞれに込めた思いを知り、何十年も前からいまを予見し時代を先取りした天才ぶりに開眼できるように、と作られたのがこの回顧展である。「ホイットニー史上最も手のかかった展覧会でした」と館長。
展示はウォーホルがまだ美大生だった頃の絵画から、商業イラストレーターとしての仕事、ポップアートの旗手として一世を風靡した頃の名作や、その後のポートレートシリーズ、晩年の《死と惨事》や《最後の晩餐》シリーズに至るまでくまなく網羅する。
展示はウォーホルがまだ美大生だった頃の絵画から、商業イラストレーターとしての仕事、ポップアートの旗手として一世を風靡した頃の名作や、その後のポートレートシリーズ、晩年の《死と惨事》や《最後の晩餐》シリーズに至るまでくまなく網羅する。
時系列で構成せず、セクションごとにテーマを感じさせるグループに分けての紹介だ。たとえばウォーホルにとっての当時「世界最大の有名人」を描いた《毛沢東》。その横の壁には、建築家フィリップ・ジョンソンの依頼によりミネアポリスのホテル客室に飾るため制作したシルクスクリーン《サンセット》が。いずれも1972年の作品であり、伝統的な絵画性を共通点として見出すことができる。
会場内では順路もあえて厳密には定めない。だからシリアスなテーマを扱うセクションから、『インタビュー』誌や広告仕事を並べた「軽薄な」セクションを横切って別の部屋へ向かったりと、ウォーホル世界を自在に巡ることができる。その中で、約40年もの多岐にわたった創作すべてに通底する、アートへの姿勢がだんだん肌で感じられるのである。
会場内では順路もあえて厳密には定めない。だからシリアスなテーマを扱うセクションから、『インタビュー』誌や広告仕事を並べた「軽薄な」セクションを横切って別の部屋へ向かったりと、ウォーホル世界を自在に巡ることができる。その中で、約40年もの多岐にわたった創作すべてに通底する、アートへの姿勢がだんだん肌で感じられるのである。
たとえば《エルヴィス・プレスリー》の展示を見てみよう。一見ひとつの作品のようだが、3体並ぶ《トリプル・エルヴィス》と、1体の《シングル・エルヴィス》とが並べてある。前者はSFMoMA、後者はシカゴのコレクターの所蔵品。そもそも映画のスチールを元にした作品だけに、間の余白の効果もあってどこか映画フィルムをも連想させる。
同じ版で刷っても、力やインクの加減などで微妙な差異が生じるのがシルクスクリーンの特徴だ。ウォーホルにとって「アートはプロセス」。究極の美を永遠に留めることこそが理想の芸術、というそれまでの常識を覆したウォーホルの革新性を、あらためて思い起こさせる展示と言っていいだろう。
今となっては信じがたいが、美術評論家や芸術家の多くがウォーホルの作品を当時、「これは芸術ではない」とこきおろした。抽象画家ウィレム・デ・クーニングに至っては「美の殺人者」とまで呼ぶ始末であった。美しさを極める、すなわち芸術家の苦悩や葛藤、メッセージを最高の美へと昇華させるという伝統に、そもそもウォーホルは完全に逆らった。「僕のアートを理解したければ、表面をサラッと見れば充分さ。興味あるのは”うわべ”だけ」とうそぶく。だからこそ本展のタイトルも『A to Z』ならぬ『A to B』なのである。
同じ版で刷っても、力やインクの加減などで微妙な差異が生じるのがシルクスクリーンの特徴だ。ウォーホルにとって「アートはプロセス」。究極の美を永遠に留めることこそが理想の芸術、というそれまでの常識を覆したウォーホルの革新性を、あらためて思い起こさせる展示と言っていいだろう。
今となっては信じがたいが、美術評論家や芸術家の多くがウォーホルの作品を当時、「これは芸術ではない」とこきおろした。抽象画家ウィレム・デ・クーニングに至っては「美の殺人者」とまで呼ぶ始末であった。美しさを極める、すなわち芸術家の苦悩や葛藤、メッセージを最高の美へと昇華させるという伝統に、そもそもウォーホルは完全に逆らった。「僕のアートを理解したければ、表面をサラッと見れば充分さ。興味あるのは”うわべ”だけ」とうそぶく。だからこそ本展のタイトルも『A to Z』ならぬ『A to B』なのである。
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吉田実香
よしだ みか ライター/翻訳家。ライター/インタビュアーのパートナー、デイヴィッド・G・インバーとのユニットでNYを拠点に取材執筆。『Tokyolife』(Rizzoli)共著、『SUPPOSE DESIGN OFFICE』(FRAME)英文執筆、『たいせつなきみ』(マイラ・カルマン 創元社)翻訳。
