アジア初! マルセル・デュシャンの作品を一挙公開。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

アジア初! マルセル・デュシャンの作品を一挙公開。

多くの謎に包まれたマルセル・デュシャンという芸術家を知るには、またとない機会が到来! デュシャン作品を語る上で欠かせない〈フィラデルフィア美術館〉のコレクションが上野の〈東京国立博物館 平成館〉にやって来ている。まとまったかたちで日本に来るのは、初めてのことだ。

会場エントランスに展示されているのは再制作された《自転車の車輪》。オリジナルは1913年。デュシャンはアトリエの台所にあったスツールに一個の車輪を固定し、車輪の回転を眺めていたという。
マルセル・デュシャンというと《泉》や《自転車の車輪》など「レディメイド」と呼ばれる作品が有名だが、本展では、どのようにしてマルセル・デュシャンという芸術家が出来上がっていったのかをクロニクル形式で見せてくれる。年代を追って見ることで、デュシャンというひとりの人間がどのような思考の変遷を経て、網膜で見る芸術から脳で考える芸術へとシフトしていったのか、あれこれ想像を巡らせることができるわけだ。

『マルセル・デュシャンと日本美術』展は、大きく2部で構成されている。第1部は〈フィラデルフィア美術館〉のデュシャン作品を年代ごとに紹介する「デュシャン 人と作品」展。第2部「デュシャンの向こうに日本が見える。」展では、〈東京国立博物館〉のコレクションから日本美術コレクションを厳選し、デュシャン作品を見た後で日本美術がどう見えるかといった試みがなされている。
展示風景:《チェス・ゲーム》(左)、《デュムシェル博士の肖像》。左は、アトリエの庭でのひとときをとらえた後期印象派風の習作。右の絵に登場するのはデュシャンの友人であり、リセ・コルネイユの学友でもあったレーモン・デュムシェルである。
1887年にフランスのルーアン近郊の街で生まれたマルセル・デュシャンは、風景画を描く祖父の影響もあってか15歳頃から油彩画の制作を始めた。その後、芸術家としてパリで生活をする2人の兄を追って移住し、美術学校へと進む。

《チェス・ゲーム》では、後期印象派のような人物描写がされており、当時からチェスに親しんでいたこともわかる。写真右の《デュムシェル博士の肖像》も同様のタッチで描かれてはいるが、手を取り囲むピンク色の光線は、1895年に発見されたばかりでデュシャンもおおいに興味を持っていたX線と関連があると言われており、自然を超えた視覚的な表現の片鱗がうかがえる。
展示風景:《階段を降りる裸体 No.2》デュシャンはキュビストたちとの交流から、伝統的な絵画を超えた数学的な概念で、運動の抽象として移動中の身体を表現する独自のキュビスムを展開した。
その後、デュシャンの絵画はキュビスムの影響が色濃くなっていく。1910年末、デュシャンと2人の兄はパリで活動を始めていた、アルベール・グレーズ、フェルナン・レジェらのキュビストグループや、フランシス・ピカビアと交友を深める。さまざまな影響を受けながらも、デュシャンは独自のキュビスムを展開し、移動する身体を表す連続写真のような表現を追求した。《階段を降りる裸体 No.2》である。この絵は、1912年3月の「サロン・デ・ザンデパンダン」に出品するが、描き直しを命じられ不服だとして出品を取りやめた。その後、ニューヨークで開催された「アーモリーショー」のキュビスム展に出品し、再度、物議を醸すことになる。
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