ART
横尾忠則にインタビュー! “85年”の画業を振り返る『GENKYO』の圧倒的空間。
『カーサ ブルータス』2021年9月号より
August 19, 2021 | Art, Design | アーティストを巡る、この夏 | photo_Keisuke Fukamizu text_Naoko Aono
〈東京都現代美術館〉で開催されている『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』展。幼少期から展覧会開幕3週間前に描いたという絵まで、横尾忠則の時間がぎっしりと詰まった横尾ワールドに浸ることができます。
●「描きたくないという気持ちで描いた絵を見てみたい」
〈愛知県美術館〉から〈東京都現代美術館〉に巡回してきた『GENKYO 横尾忠則』展。愛知展の半数近くを入れ替え、さらに新作も加わってパワーアップ、総数603点という作品が見る者を圧倒する。
「愛知展では年代に沿って並べたけれど、東京ではいかに描いたか、様式ごとに分けています。見る人は何が描かれているかに集中してしまうけれど、それは重要ではないんです」(横尾)
確かにそのスタイル(様式)は実にさまざま。「一人の人が描いたとは見えないんじゃないかと思います」と横尾が言う通り、多彩な作品がぎっしりと並ぶ。
「愛知展では年代に沿って並べたけれど、東京ではいかに描いたか、様式ごとに分けています。見る人は何が描かれているかに集中してしまうけれど、それは重要ではないんです」(横尾)
確かにそのスタイル(様式)は実にさまざま。「一人の人が描いたとは見えないんじゃないかと思います」と横尾が言う通り、多彩な作品がぎっしりと並ぶ。
横尾が「ぜひ見てほしい」という最後の展示室の新作のうち20点は寒山拾得がモチーフ。寒山拾得は中国の水墨画や江戸絵画にも多く描かれる禅僧だが、みすぼらしい格好でにたあと笑うなど不気味な姿で描かれることが多い。
「不思議な人たちだなあ、と思ったんです。なぜたくさんの絵師がその不思議な人物を描いているのか、その謎を解くには自分も描いてみればわかるのかな、と思った」
実際に描いてみて彼は、「寒山拾得を描くには自分もそのような“アホ”にならないと描けないということがわかった」と言う。
「究極の悟りを得た人はいかにも悟ったようなかっこうはしていない。バカかアホのように見えるんです。だからその超俗の僧を描いた絵も投げやりな表現になる」
「不思議な人たちだなあ、と思ったんです。なぜたくさんの絵師がその不思議な人物を描いているのか、その謎を解くには自分も描いてみればわかるのかな、と思った」
実際に描いてみて彼は、「寒山拾得を描くには自分もそのような“アホ”にならないと描けないということがわかった」と言う。
「究極の悟りを得た人はいかにも悟ったようなかっこうはしていない。バカかアホのように見えるんです。だからその超俗の僧を描いた絵も投げやりな表現になる」
その寒山拾得の絵の中には完成していないように見えるものも多い。横尾は「未完こそが創造だ」といった意味のことも言っている。
「今までの絵は完成させようという目的があって描いていた。だけど最近では完成させることを考えていない。僕は飽きっぽくて描いている途中で飽きるから、電車でいえば途中下車なんです」
「今までの絵は完成させようという目的があって描いていた。だけど最近では完成させることを考えていない。僕は飽きっぽくて描いている途中で飽きるから、電車でいえば途中下車なんです」
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