ピカソ《ゲルニカ》をどこまで読み解けるか? 〈ソフィア王妃芸術センター〉でオンライン展が公開中。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

ピカソ《ゲルニカ》をどこまで読み解けるか? 〈ソフィア王妃芸術センター〉でオンライン展が公開中。

ロックダウン以降世界中の美術館が休館を余儀なくされる中で、オンライン・ミュージアムの新しい試みが数多く行われている。その中で今回注目したいのはマドリッドの〈ソフィア王妃芸術センター〉のウェブサイトにて公開中の『Rethinking Guernica ゲルニカ再考』である。

「ゲルニカ再考」プロジェクトのタイトルページ。概要ストーリーの他、年表、巡回マップ、ギガピクセル画像が楽しめる。
パブロ・ピカソの代表作にして、20世紀絵画の中で最も大きな影響力を持つ作品のひとつと言われる《ゲルニカ》。戦争の悲惨さを描き、反戦の象徴として世界中に知らない人がいないほどに有名なこの作品を一目見るために、普段であればここに年300万人以上もの人が訪れるという。

しかしこの作品が描かれた稀有な経緯や、ピカソの膨大な仕事量、そしてこの作品の移転、評価の変遷の歴史について知る人は驚くほど少ない。この作品はピカソが自由に描いたものではなく、スペイン内戦中の1937年、パリ万博で発表されるべく、共和国政府がピカソに制作を依頼したものであった。ピカソは数ヶ月という与えられた制作期間の大半を何も描けずスランプのうちに過ごしていたが、バスク地方の村ゲルニカが爆撃されたというニュースを知ると、それに触発されるように大量の習作を描き始め、ほどなく作品は完成した。最初の評価は辛辣なものが多く成功とは言えなかったが、ピカソ自身がその作品を、各国で行われた個展をはじめあらゆる機会に搬送して世界中の人々に見せようと尽力したこともあって徐々に評価を高め、スペイン内戦という一戦争を超えた20世紀を象徴する絵画となり、ピカソの死後1981年にスペインへ運ばれ、1992年に新設された〈ソフィア王妃芸術センター〉のコレクションとなったのだ。
《ゲルニカ》が閲覧できる普段の館内の様子。実は1992年に〈ソフィア王妃芸術センター〉に置かれる少し前までは、ほど近くに建つ〈プラド美術館〉内に防犯ガラスに囲まれた別館をつくって展示されていたため、さらに見づらかったと思われる。
《ゲルニカ》をめぐる年表。2044点の資料がすべてオンラインで閲覧できる。量は多いがそれぞれの資料は種類によって色分けされ、重要な資料にはハイライトもついているので非常に見やすい。ニューヨーク近代美術館に長年置かれていたこの作品が、ピカソの死後、フランコ独裁政権が終結しさまざまな議論の末にやっとスペインに搬送された1981年に最も多くの資料が残されている。
年表資料のひとつ。完成した《ゲルニカ》が1937年のパリ万博においてスペイン館で公開された時の様子。(c) José Lino Vaamonde Valencia. MNCARS, Madrid. Donación J. Vaamonde Horcada (2001) 
製作中の未発表写真や展覧会を批評した新聞記事を含め、今回ウェブ上に公開されたこのたった一枚の絵画にまつわる資料の数はなんと2000を超える。そして普段館内では4メートル離れた場所に引かれた線の外からしか見ることのできないこの絵を、ギガピクセルという超高解像度画像のデータとして公開したことで筆の跡やキャンバスの素地、絵の具の経年劣化まで舐めるように見ることができるのも、デジタルでしか実現できない新しい鑑賞方法と言えるだろう。

「多くの作品を画像などの情報として見せる」のとは逆に「一点の作品をオンラインという制約の中でどこまで掘り下げることができるか」という視点から公開された名作。実物を鑑賞することが出来ない今だからこそ、ゲルニカを「いつか本当に見たい」と思う気持ちを育てる絶好の機会ではないだろうか。
《ゲルニカ》全体。3.49×7.77mの巨大な絵画。すべてのモチーフに多くの習作とスケッチが残されており、構図から細部まで考え抜かれて描かれたことが分かっている。
ギガピクセル資料において、牛の目の部分をズームアップしてみたところ。下地や筆の跡まではっきりと分かる。
ギガピクセル資料において、最も拡大するとこのようにキャンバスの繊維まで見える。短期間で描いたため普通の絵の具ではなく速乾性の工業用ペンキを使用したという記録が残っており、黒い部分が少しひび割れて見えるのはそのせいかもしれない。

『Rethinking Guernica ゲルニカ再考』

〈ソフィア王妃芸術センター〉公式サイトにて公開中。

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