村上隆のドラえもんから、なぜかヌードの歴史にたどり着く。|鈴木芳雄「本と展覧会」 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

村上隆のドラえもんから、なぜかヌードの歴史にたどり着く。|鈴木芳雄「本と展覧会」

村上隆によるドラえもんコラボレーションの新たな作品が〈ペロタン東京〉で展示中。村上のペロタンにおける13回目の個展だが、〈ペロタン東京〉では今回が初めてとなる。村上はなぜ、ドラえもんコラボレーションを生み出し続けるのか。そして、のび太としずかちゃんのヌードの秘密とは?

村上隆《どこでもドアととっても良い日のスケッチ》2019年、アルミ枠に張ったキャンバスにアクリル絵の具とプラチナ箔と金箔。180 × 180cm。 ©︎2019 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. ©️Fujiko-Pro.
ドラえもんのキャラクターたちを村上隆が描いただけ。以前から彼が描いていた「お花」のモティーフと組み合わせたり、大量のお花の中に埋め込んだりして。たくさんの言語に翻訳され、世界中の子どもたちに読まれ、各国でアニメーションが放映されている有名マンガを、海外の美術館やコレクターたちの収集の的になっている村上隆が描けば「現代アート」として成り立つということなのか?

そもそも、村上隆がドラえもんを描くきっかけになったのは、2002年の『「THE ドラえもん展」 依頼:あなたのドラえもんをつくってください(藤子・F・不二雄)』だった。そのとき依頼されて制作した絵では、ドラえもんの登場人物たちと村上が生み出したキャラクター〈カイカイ〉と〈キキ〉がお花畑の上をタケコプターで飛んでいる。
村上隆《あんなことこんなことできたらいいな》2019年、アルミ枠に張ったキャンバスにアクリル絵の具。100 × 100cm。 ©︎2019 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. ©️Fujiko-Pro. これは2002年の「ドラえもん展」出品作ではないが、ドラえもんキャラクターズと村上の生み出したキャラクターであるカイカイとキキが楽しそうに空を飛んでいる。
それから15年を経て、東京で2017年に開催された『THE ドラえもん展 TOKYO 2017』(全国巡回中。2020年3月から新潟、7月から京都での開催を予定)では、展覧会のメインビジュアルを兼ねた下記の作品《あんなこといいな 出来たらいいな》を村上は発表した。

マンガは基本、ひとつのコマにひとりののび太、1匹の(1台の?)ドラえもんがいて、ストーリーが進んでいく。時間の流れが右から左へ、上から下へ。だけど、この絵ではひとつの大画面の中にごちゃごちゃにキャラクターたちが描かれている。いろんな人、それぞれのいろんな表情が見える。これは絵画技法でいうところの「異時同図法」だ。違った時間を1枚の絵の中に表している。あのときの笑ってるドラえもんと、違うときの泣いているドラえもんもいる。非時間モデルの絵画を、映像のような時間モデルにしているのだ。
村上隆《あんなこといいな 出来たらいいな》2017年 ©2017 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co.,Ltd. All Rights Reserved. ©Fujiko-Pro 注:本作品は〈ペロタン東京〉での展覧会には出品されていません。後述の『THEドラえもん展』に出品中。
この《あんなこといいな 出来たらいいな》のど真ん中には「どこでもドア」が描かれている。これは曼荼羅の中心に主尊を置くことと通じている。ドラえもんの超人気ひみつ道具「どこでもドア」の向こうがちらっと見えていて、金箔やプラチナ箔が貼られている。これは、ドアの向こうは「この世でない世界」、仏画でいえば彼岸、西方浄土といえる。仏のいる浄土にある華池、宝楼や宝閣などの建物もまたそこに植わる宝樹も、みな金銀珠玉を散りばめられ、しかも、それらは清らかでありながら、光明赫灼と輝いているとされている。

歴史をたどれば、美は長い時間、宗教に支えられてきた。今さら言うまでもないが、我々は教会や寺院で、ときに壮麗な、ときに愛しい美術品を目にする。村上のこの作品の構図と金銀のマテリアルからはそんな歴史を想起させられる。

一方、村上自身が語っていることだが、この絵は抽象表現主義の手法をとっている。これは20世紀後半、アメリカから発信された絵画のムーブメントで、その特徴はまず、絵が大きいこと。描かれるものと背景という区別がなく、遠近法なども使わない。代表的な作家としてはジャクソン・ポロック、マーク・ロスコらが挙げられる。

そして、村上といえばアーティストであり、「スーパーフラット」という概念を定義し理論立てた本人だ。「スーパーフラット」とは、歴史的には俵屋宗達、尾形光琳、伊藤若冲、さらには浮世絵の伝統を踏まえつつ、現代のマンガやアニメも合わせ、平面の芸術の表現をひと言で表したもの。このフラットにはもう一つ意味が込めてあって、いわゆる芸術(ファインアート)も広告のような商業美術も、価値に高低や貴賤はなく平等であるという信念だ。たとえば、マンガだって立派な芸術だと。

そういえば、藤子・F・不二雄先生は芸術家のアイコンであるベレー帽をいつもかぶっていた。画面にもそのように描かれている。藤子・F先生は芸術家なのだ。こうして「スーパーフラット」の理念へとつながっていく。

ちなみに、藤子・F・不二雄先生も一緒に乗っている「タイムマシン」。まわりにサルヴァトール・ダリの《記憶の固執》に出てくる歪んだ時計が描かれている。これは村上ではなく、藤子・F先生がもともと描いていたものだけれど、つまりここにはシュルレアリスムの引用があるのだ。

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