ARCHITECTURE
没後50年で自邸公開! 建築家、山田守とは誰か。
April 19, 2017 | Architecture | a wall newspaper | photo_Ken’ichi Suzuki text_Jun Kato editor_Tami Okano
自らの美学を貫き通した、建築造形のスペシャリスト。山田守の半生が凝縮された自邸が、10日間限定で特別公開。
日本の近代を代表する建築家の一人、山田守。戦前は逓信省に在籍し、数多くの電信・電話局を設計。ル・コルビュジエやヴァルター・グロピウスらの近代建築運動にも影響を受け、戦後、独立してからは主に病院や学校などの公共施設の設計で、日本のモダニズム建築を牽引した。1964年竣工の〈日本武道館〉や〈京都タワー〉という当時のビッグプロジェクトを設計したといえば、彼の活躍ぶりがうかがい知れるだろう。その2大作品を生み出した直前に建てられた自邸が、『建築家・山田守の住宅』展の会場として、特別公開される。
山田守
山田守と同時代に活躍した堀口捨己の研究で知られ、山田の活動と作品にも造詣の深い建築史家・藤岡洋保は、山田の自邸について「軽快でお洒落。そして、“お茶目”にデザインされている」と話す。
例えば、起伏のある敷地に対してピロティで建物を持ち上げた、軽やかさ。カーブを描きながら連続する「薄い庇」や「細い手すり」に感じられる、優美さ。そして、伝統を踏まえながらもルールを外してしつらえた茶室などに見られる、独創性。見どころは満載だ。
幾度か借家住まいをした後、東京の青山の地に、65歳にして初めて居を構えた山田。1959年の竣工で、当時は持ち家を所有できる者はまだまだ限られていた。山田にとって、待ちに待った自邸かというと、実は、そうでもなかったらしい。「一度本当の家に住みたい」という妻の希望を受け入れ、やむを得ず「本当の家」を建てることにした、というのである。
例えば、起伏のある敷地に対してピロティで建物を持ち上げた、軽やかさ。カーブを描きながら連続する「薄い庇」や「細い手すり」に感じられる、優美さ。そして、伝統を踏まえながらもルールを外してしつらえた茶室などに見られる、独創性。見どころは満載だ。
幾度か借家住まいをした後、東京の青山の地に、65歳にして初めて居を構えた山田。1959年の竣工で、当時は持ち家を所有できる者はまだまだ限られていた。山田にとって、待ちに待った自邸かというと、実は、そうでもなかったらしい。「一度本当の家に住みたい」という妻の希望を受け入れ、やむを得ず「本当の家」を建てることにした、というのである。
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