孤高の建築家、白井晟一の謎に迫る展覧会|青野尚子の今週末見るべきアート | カーサ ブルータス Casa BRUTUS
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〈懐霄館(親和銀行電算事務センター)〉(1973-75年)。第1期、第2期に続いて白井晟一が手がけた長崎県の〈親和銀行本店〉第3期計画として作られたもの。巨大なコンピュータを収めるための施設だが、水盤のある吹き抜けや噴水のある10階サロンなど、人間の思索の場をも内包するかのような建物となった。撮影:柿沼守利。
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会場の〈渋谷区立松濤美術館〉1階ロビーに展示された〈ノアビル〉模型。美術館の丸窓が背後に見える。石造りのような外観にこの丸窓のような和の要素を組み合わせるのが面白い。
渋谷区松濤の閑静な住宅街に建つ、決して大きくはないけれど存在感のある〈渋谷区立松濤美術館〉は白井晟一の代表作の一つだ。そびえ立つ石の壁のようなエントランスから中に入ると円窓が印象的なロビーが現れる。「白井晟一 入門」展は建築家が設計した空間でその彼の生涯をたどる、建築に興味のある者にとっては心躍る展覧会だ。
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〈ノアビル〉模型と並んで展示されている「原爆堂計画」模型。この二つの模型は美術家、岡﨑乾二郎の指導の下に制作されている。白井建築の量感が伝わる。
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実現しなかった「原爆堂計画」模型。右の「エントランス・パビリオン」から左の展示室までは地下道でつながれるプランだった。この模型ではテーブルの下に地下道が作られている。
白井には神秘的なイメージがつきまとう。その理由の一つは哲学と建築をめぐる、若い頃の彼の思考のあとがもう一つはっきりしないことだろう。1905年に生まれた彼は19歳で京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科に入学する。ここでの担当教授は建築家、本野精吾、さらに前任者は武田五一だった。彼らが白井の建築への道を開いた可能性はある。しかしその一方で哲学に惹かれていたとの見方もある。
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2階展示室の展示風景。円形の建物にあわせて緩やかに弧を描く。家具なども白井がセレクトした。
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展示室の天井から下がる照明は秋田県「稲住温泉」の〈浮雲〉のもの。これも白井のデザインだと考えられている。
京都高等工芸学校を卒業した彼は、哲学科美術史専攻を第一志望としてドイツのハイデルベルク大学に留学する。留学していた間彼はパリやモスクワなど各地に出かけ、ゴシック建築や古い街並みなどを見て回った。1931年、パリから戻った白井は「ヤスパスやリッカート(ともにドイツの哲学者)には今では興味を感じない」と日記に記した。哲学から離れて別の道をめざした痕が伺える。
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