CULTURE
庵野秀明の映像青春記を見る。『庵野秀明展』を徹底レポート。
November 28, 2021 | Culture, Art, Design | casabrutus.com | photo_Kenya Abe text_Yoshio Suzuki
アニメーター、映画監督の庵野秀明による最新作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は興行収入100億円超をたたきだした。テレビアニメ、特撮映画の発展とともに成長し、その影響を全身で受け、作品が評価され、プロの道に進んだ庵野。誰にも作れなかったものを生み出し、前人未到の記録を打ち立てた作家の大規模な展覧会が〈国立新美術館〉で開催され、このあと各地に巡回する。
庵野秀明。『新世紀エヴァンゲリオン』『シン・ゴジラ』などの作品で知られ、日本を代表するアニメーター、映画監督のひとり。彼のこれまでと現在、さらには未来を見通そうという展覧会『庵野秀明展』が〈国立新美術館〉で開催されている。
この『庵野秀明展』は、年代ごとに分かれた5章に及ぶ展示によって、1人の作家の人物像を編年体で描き出す。言ってみれば、“ビルドゥングスロマン(成長物語)”を展覧会にしたようなものだ。庵野の幼少期から始まる第一章より、順を追って見ていこう。
この『庵野秀明展』は、年代ごとに分かれた5章に及ぶ展示によって、1人の作家の人物像を編年体で描き出す。言ってみれば、“ビルドゥングスロマン(成長物語)”を展覧会にしたようなものだ。庵野の幼少期から始まる第一章より、順を追って見ていこう。
●第1章 原点、或いは呪縛
まず会場に入ると、なぜか足踏み式ミシンが目に留まる。幼少期に庵野の実家で、両親が仕事で使用していたものだ。庵野が初めて身近にメカニズムを意識したといわれるのが、この足踏み式ミシンの動きだという。ペダルの上下運動を回転運動に替え、さらにそれを運針の往復運動に替える足踏み式ミシンの動きは、幼い庵野にメカニズムの魅力を植え付けた。
会場では数々の戦艦の模型や特撮映画、テレビの撮影用模型が一斉に展示されている。テレビやスクリーンの画面の中にあって、少年たちが胸をときめかせた戦闘機や戦艦。そうだ、こういうものだったと想いを新たにする。庵野が生まれた1960年はテレビのカラー放送が始まった年だ。その前年、現在の上皇上皇后両陛下のご成婚で、まだほとんどはモノクロだが、テレビは一気に普及した。その後、カラーテレビの普及は1964年の東京オリンピックが契機になる。当時、アニメーションは「テレビまんが」と呼ばれ、『狼少年ケン』『鉄腕アトム』『鉄人28号』(以上1963年〜)などが放映され、また『ウルトラマン』(1966年〜)、『仮面ライダー』(1971年〜)、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年〜)、『機動戦士ガンダム』(1979年〜)などの名作が続々と生み出された。
展覧会ではそれらが「第1章 原点、或いは呪縛」というセクションにまとめられている。庵野の世代はものごころついたときからテレビがある初期の世代といえる。当時、それらの映像作品や漫画などから受けた衝撃と感動が彼の創作の原点にあることが、豊富な展示資料とともに語られる。
展覧会ではそれらが「第1章 原点、或いは呪縛」というセクションにまとめられている。庵野の世代はものごころついたときからテレビがある初期の世代といえる。当時、それらの映像作品や漫画などから受けた衝撃と感動が彼の創作の原点にあることが、豊富な展示資料とともに語られる。
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