VEHICLE
Chill CARS|半世紀を経てなお色褪せない、東京の名車。
『カーサ ブルータス』2018年11月号より
October 12, 2018 | Vehicle, Design | Chill CARS | photo_Futoshi Osako text_Fumio Ogawa illustration_Daijiro Ohara
今年生誕から50年を迎える〈いすゞ〉の《117クーペ》は、流麗なデザイン、DOHCエンジンによる高性能、手作業で完成させた車体と、多くの特徴を持つ。
スタイリングを手がけたのはイタリアの名門コーチビルダー、〈カロッツェリア・ギア〉に当時所属していたジョルジェット・ジウジアーロ。1966年にプロトタイプが発表された後、あまりにも評判が良いので量産化が決定された。
張りのあるボディ、後輪の前でキックアップするウエストラインとそれに巧く組み合わされた細いピラーを持つサイドウィンドウの輪郭が、イタリアのスポーツカーのような美しさを感じさせ、半世紀経った今でも魅力を放つ。
ジウジアーロは、しかし、このクルマについて多くを語っていない。本来得意とするエンジニアリングまで踏み込めなかったせいだろうか。量産化が実現したのは、独立して〈イタルスタイリング〉(後の〈イタルデザイン〉)を開いたときの初仕事としてのことだ。
《117クーペ》が日本の名車だと思うのは、クルマが都市を構成する重要な要素と考えた、当時の〈いすゞ〉の経営陣とデザイナーの慧眼ぶりゆえだ。クルマがスタイリッシュでなければ都市も魅力を失う。自動車は、建物や行き交う人々と同等の重要な存在だからだ。高度成長期にあった東京にとって、《117クーペ》のように美的なクルマこそ必要だった。まさに、東京を作ったクルマである。
張りのあるボディ、後輪の前でキックアップするウエストラインとそれに巧く組み合わされた細いピラーを持つサイドウィンドウの輪郭が、イタリアのスポーツカーのような美しさを感じさせ、半世紀経った今でも魅力を放つ。
ジウジアーロは、しかし、このクルマについて多くを語っていない。本来得意とするエンジニアリングまで踏み込めなかったせいだろうか。量産化が実現したのは、独立して〈イタルスタイリング〉(後の〈イタルデザイン〉)を開いたときの初仕事としてのことだ。
《117クーペ》が日本の名車だと思うのは、クルマが都市を構成する重要な要素と考えた、当時の〈いすゞ〉の経営陣とデザイナーの慧眼ぶりゆえだ。クルマがスタイリッシュでなければ都市も魅力を失う。自動車は、建物や行き交う人々と同等の重要な存在だからだ。高度成長期にあった東京にとって、《117クーペ》のように美的なクルマこそ必要だった。まさに、東京を作ったクルマである。
special thanks to Kanetaka Tanaka, Isuzu 117 Coupé Owner’s Club ※データと価格は、撮影車両を参考に算出したものです。
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