FASHION
〈銀座メゾンエルメス〉記憶に残る10のディスプレイ。|石田潤の In the mode
| Fashion, Architecture, Design | casabrutus.com | (c)Satoshi Asakawa / Courtesy of Hermès Japon text_Jun Ishida editor_Keiko Kusano
エルメスというメゾンの遊び心を表すウィンドウディスプレイ。多種多様なクリエイターを起用してきたことでも話題の〈銀座メゾンエルメス〉のウィンドウディスプレイが、今年100回目を迎えました。
2009年に女優の木村多江をフィーチャーし作成した吉岡徳仁のウィンドウディスプレイ「吐息」。
銀座を歩いていると各ブランドの趣向溢れるウィンドウディスプレイに目が惹かれるが、エルメスのウィンドウほど毎回創意工夫に満ちたものはないだろう。正面入り口を挟んでメインディスプレイが2つ、建物の側面に小窓といわれるディスプレイが16。この小窓は路地に面した建物の背面にもあって、ウィンドウを見るためにぐるっと半周してしまうこともしばしばだ。
2001年6月に〈銀座メゾンエルメス〉がオープンして以来、2ヶ月ごとに新しいウィンドウを発表してきたエルメス。さまざまな国、タイプ、キャリアのアーティストとコラボレーションし、「この人を起用するのか!」と驚くことも多々あった。今振り返ってみても、2005年に当時アップカミングだったアーティストの名和晃平を起用したり、2010年には新国立競技場のコンペで注目を集めた建築家グループDGTを抜擢するなど、新しい才能に対する目の速さも抜群だ。抜擢されたアーティストはエルメスの年間テーマをお題とし、それぞれの個性を生かした答え=ディスプレイを生み出す。
1920年代に3代目社長のエミール・エルメスがウィンドウディスプレイの可能性に注目して以来、単なる商品の陳列スペースから、メゾンの世界観を表現する「エルメス劇場」と呼ばれるクリエイションスペースへと進化させてきた。本記事では〈銀座メゾンエルメス〉の100のウィンドウから、記憶に残る10個を時系列でピックアップしてみた。
2001年6月に〈銀座メゾンエルメス〉がオープンして以来、2ヶ月ごとに新しいウィンドウを発表してきたエルメス。さまざまな国、タイプ、キャリアのアーティストとコラボレーションし、「この人を起用するのか!」と驚くことも多々あった。今振り返ってみても、2005年に当時アップカミングだったアーティストの名和晃平を起用したり、2010年には新国立競技場のコンペで注目を集めた建築家グループDGTを抜擢するなど、新しい才能に対する目の速さも抜群だ。抜擢されたアーティストはエルメスの年間テーマをお題とし、それぞれの個性を生かした答え=ディスプレイを生み出す。
1920年代に3代目社長のエミール・エルメスがウィンドウディスプレイの可能性に注目して以来、単なる商品の陳列スペースから、メゾンの世界観を表現する「エルメス劇場」と呼ばれるクリエイションスペースへと進化させてきた。本記事では〈銀座メゾンエルメス〉の100のウィンドウから、記憶に残る10個を時系列でピックアップしてみた。
●2001年/グルーヴィジョンズ「ジッパー」
〈銀座メゾンエルメス〉のウィンドウディスプレイを担当した最初の日本人クリエイターは、グルーヴィジョンズ。工業用に用いられていたジッパーを初めて服飾に用いたというエルメスの歴史を踏まえ、「ジッパー」をモチーフとしたディスプレイを展開した。小窓にはエルメスの皮革職人とともに作成した革のジッパー付きカーテンも登場。遊び心溢れるグルーヴィジョンズならではの仕掛けだった。
●2004年/吉岡徳仁「吐息」
〈銀座メゾンエルメス〉のウィンドウディスプレイを手がけた最多デザイナーといえば吉岡徳仁。これまで4回にわたり担当した吉岡のウィンドウで、最も記憶に残っているものは2004年の「吐息」というタイトルのもと作成された「動くスカーフ」のウィンドウだ。2002年に動く「鞍」と「ケリーバッグ」を展示した吉岡の「動くウィンドウ」シリーズ第2弾ともいえる。モニターに映る女性が吐息をはくと、その前にあるスカーフがふわっと揺れる。シンプルなアイデアだが、なんとも優雅でセクシーな仕掛けで、思わず足を止めて見とれてしまった。2002年に吉岡が最初のウィンドウを手がけた際に提案し、2年越しで実現したという。2009年には女優の木村多江をフィーチャーし、彼女の吐息にあわせて「動くスカーフ」のディスプレイを行った。
●2006年/ジャスパー・モリソン「Slide Show」
パリのアパルトマンをウィンドウに出現させたのはジャスパー・モリソン。床にはジャスパーがデザインしたフローリングのパターンが印刷されるなど、プロダクトデザイナーらしく細部に至るまでこだわりをみせた。アパルトマンで行われているのは、彼が撮影したパリの日常風景のスライド上映会。人々はスライドショーを見ながらパリの「air(雰囲気)」(2006年のテーマ)について議論するという設定だ。建物のサイドにある小窓のようなウィンドウでは、パリの典型的な店のウィンドウを撮影したスライドとエルメスの商品を組み合わせて展示した。
●2007年/マチュー・メルシエ「Hermès à laver / Washing Hermès」
ウィンドウを巨大な洗濯機に変えるという大胆な試みを行ったのは、フランス人アーティストのマチュー・メルシエ。「さあ、踊りの輪に!」というエルメスの2007年のテーマを受け、ただし人ではなくスカーフを洗濯機の中で躍らせた。ランドリーという発想は、レンゾ・ピアノ設計の〈銀座メゾンエルメス〉の建物から。ミニマルで無菌という印象を得たからだそう。驚きとユーモアに満ちたディスプレイとなった。
●2008年/パラモデル「パラモデルの無量ドット建設」
「Fantaisies Indiennes —眩惑のインド」という2008年の年間テーマから、シュールな世界をウィンドウ内に作り出したのは林泰彦と中野裕介によるアートユニット、パラモデル。インド=紅茶と連想した彼らは、年間テーマとロゴをプリントした6500個の紅茶缶を作成し、ウィンドウ内を工事現場のごとく埋め尽くした。パラモデルは2011年にもウィンドウを担当、2013年には〈銀座メゾンエルメス フォーラム〉で展覧会も行っている。
日本の若手アーティストも早くから起用していた。
日本の若手アーティストも早くから起用していた。
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石田潤
いしだ じゅん 『流行通信』、『ヴォーグ・ジャパン』を経てフリーランスに。ファッションを中心にアート、建築の記事を編集、執筆。編集した書籍に『sacai A to Z』(rizzoli社)、レム・コールハースの娘でアーティストのチャーリー・コールハースによる写真集『メタボリズム・トリップ』(平凡社)など。
