FASHION
村上隆が語る、ルイ・ヴィトンとの20年。伝説のコラボ「LOUIS VUITTON × MURAKAMI」が再始動!
January 24, 2025 | Fashion, Art | casabrutus.com | photo_Satoshi Nagare text_Mari Matsubara
ルイ・ヴィトンと村上隆の初めてのコラボから20年余りの時を経て、「LOUIS VUITTON × MURAKAMI」のリエディション・コレクションが登場。再コラボを祝した期間限定ポップアップストアにて、村上本人を直撃インタビューしました!
「マルチカラー」に「パンダ」に「お花畑」......あのシグネチャー的コラボデザインがアップデートした新製品の数々が並ぶポップアップストア。その近隣の別棟にはカフェと過去のコラボ製品を展示するアーカイブ・エキシビジョンも設けられ、界隈は連日ファンが行列をなすお祭り騒ぎの中、いつもの被り物スタイルで村上隆は現れた。
──2003年に初めてルイ・ヴィトンとコラボレーションをしたわけですが、現代美術家である村上さんは当時、ラグジュアリーブランドとのコラボに際してどんな思いがあったのですか?
村上 あの頃、僕は何も考えていなかったね(笑)。そもそも〈ルイ・ヴィトン〉を知らなかったから(爆笑)。2002年〜03年にパリの〈カルティエ現代美術財団〉が僕の個展をやった時、当時〈ルイ・ヴィトン〉のアーティスティック・ディレクターだったマーク・ジェイコブスはそれを見ていたらしいのですが、財団での展覧会準備を1カ月間、死ぬ思いでやり切って日本に帰ってきた直後にマークから連絡が入ったんです。打ち合わせをしたいからパリに来てほしいと言われ、全力で拒否したのですが、結局3日後にまたパリに行きました。マークから「再来年に〈ルイ・ヴィトン〉は150周年を迎えるので、モノグラムを完全にリニューアルしたい。一緒に21世紀のモノグラムを作りましょう」と言われたんです。
モノグラムといえば、日本の家紋をヒントに作られたパターンだということを知ったので、夏の間じゅう家紋の源流を中国から南アジアまでずっと辿って、資料本を読み漁って、インド更紗も研究して、いろんなアイディアをマークに送ったことを覚えています。その後、マークから「これはなーに?」と僕が描いたパンダを模写したスケッチが送られてきて、あ、パンダが気に入ったのかと。そこから派生して誕生したキャラクターが「スーパーフラットパンダ」と「フラワーハットマン」と「オニオンヘッド」ですよ。名前は〈ルイ・ヴィトン〉側が決めたんだけどね。それで10月のファッションショー会場には巨大バルーンを展示しましたから、すごいスピードですよね。あの頃、僕も若かったからなぁ。
──2003年に初めてルイ・ヴィトンとコラボレーションをしたわけですが、現代美術家である村上さんは当時、ラグジュアリーブランドとのコラボに際してどんな思いがあったのですか?
村上 あの頃、僕は何も考えていなかったね(笑)。そもそも〈ルイ・ヴィトン〉を知らなかったから(爆笑)。2002年〜03年にパリの〈カルティエ現代美術財団〉が僕の個展をやった時、当時〈ルイ・ヴィトン〉のアーティスティック・ディレクターだったマーク・ジェイコブスはそれを見ていたらしいのですが、財団での展覧会準備を1カ月間、死ぬ思いでやり切って日本に帰ってきた直後にマークから連絡が入ったんです。打ち合わせをしたいからパリに来てほしいと言われ、全力で拒否したのですが、結局3日後にまたパリに行きました。マークから「再来年に〈ルイ・ヴィトン〉は150周年を迎えるので、モノグラムを完全にリニューアルしたい。一緒に21世紀のモノグラムを作りましょう」と言われたんです。
モノグラムといえば、日本の家紋をヒントに作られたパターンだということを知ったので、夏の間じゅう家紋の源流を中国から南アジアまでずっと辿って、資料本を読み漁って、インド更紗も研究して、いろんなアイディアをマークに送ったことを覚えています。その後、マークから「これはなーに?」と僕が描いたパンダを模写したスケッチが送られてきて、あ、パンダが気に入ったのかと。そこから派生して誕生したキャラクターが「スーパーフラットパンダ」と「フラワーハットマン」と「オニオンヘッド」ですよ。名前は〈ルイ・ヴィトン〉側が決めたんだけどね。それで10月のファッションショー会場には巨大バルーンを展示しましたから、すごいスピードですよね。あの頃、僕も若かったからなぁ。
●アーカイブ展示で伝説のコラボレーションを振り返る。
──現代美術家がラグジュアリーブランドとコラボする先駆けでしたよね?
村上 〈ルイ・ヴィトン〉とアーティストの最初のコラボレーションは2001年のスティーブン・スプラウスで、僕は3番目だったんです。でもね、マークはきっと僕のことを現代美術家だと認識していなかったんじゃないですかね。僕はまだ若かったし、日本人だからって舐められちゃいけないと息巻いて頑張りましたよ。それはマークに対してというよりは、現代美術業界に対して「舐められちゃいけない」って思ったの。自分はイラストレーターじゃない、現代美術作家だと言い続けないといけない。だから、ルイ・ヴィトンとのコラボレーションのペインティングや彫刻を作ったり、現代美術にブリッジをかける試みを随分やりました。
村上 〈ルイ・ヴィトン〉とアーティストの最初のコラボレーションは2001年のスティーブン・スプラウスで、僕は3番目だったんです。でもね、マークはきっと僕のことを現代美術家だと認識していなかったんじゃないですかね。僕はまだ若かったし、日本人だからって舐められちゃいけないと息巻いて頑張りましたよ。それはマークに対してというよりは、現代美術業界に対して「舐められちゃいけない」って思ったの。自分はイラストレーターじゃない、現代美術作家だと言い続けないといけない。だから、ルイ・ヴィトンとのコラボレーションのペインティングや彫刻を作ったり、現代美術にブリッジをかける試みを随分やりました。
──ルイ・ヴィトンとのコラボがその後のご自身の知名度を上げていったと思いますか?
村上 これはずいぶん後になってからヴァージル・アブローに聞いた話ですが、当時、ヴァージルがカニエ・ウェストやドン・Cたちと一緒にシカゴの〈ルイ・ヴィトン〉ブティックのウィンドウ・ディスプレイで僕とのコラボレーション見て、「これはすごい、新しいアートの始まりだ」と言い合って興奮しまくったそうです。それがきっかけでカニエは僕にアルバムのアートワークを依頼してきたわけですから(注:2007年のアルバム『Graduation』のジャケットを皮切りに村上はカニエ・ウェストのアルバム、シングル、ミュージックビデオなどのアートワークを担当)。その後もビリー・アイリッシュなどいろんなアーティストや、六本木ヒルズやドラえもんも含め数限りなくコラボしましたけれど、その発端は〈ルイ・ヴィトン〉とのコラボでしょうね。
村上 これはずいぶん後になってからヴァージル・アブローに聞いた話ですが、当時、ヴァージルがカニエ・ウェストやドン・Cたちと一緒にシカゴの〈ルイ・ヴィトン〉ブティックのウィンドウ・ディスプレイで僕とのコラボレーション見て、「これはすごい、新しいアートの始まりだ」と言い合って興奮しまくったそうです。それがきっかけでカニエは僕にアルバムのアートワークを依頼してきたわけですから(注:2007年のアルバム『Graduation』のジャケットを皮切りに村上はカニエ・ウェストのアルバム、シングル、ミュージックビデオなどのアートワークを担当)。その後もビリー・アイリッシュなどいろんなアーティストや、六本木ヒルズやドラえもんも含め数限りなくコラボしましたけれど、その発端は〈ルイ・ヴィトン〉とのコラボでしょうね。
●2025年の「LOUIS VUITTON × MURAKAMI」コラボレーションアイテムがこちら!
──ヴァージルはその後、2018年から21年まで〈ルイ・ヴィトン〉のメンズのアーティスティック・デザイナーに就任するわけですから、不思議な縁が続きますね。
村上 僕がヴァージルに初めて会ってから2年後に就任ですからね。2016年にカリフォルニアで始まったストリート・カルチャーの祭典『ComplexCon』の第1回に僕やファレル・ウィリアムスがホスト兼アートディレクターとして参加し、そこでヴァージルと知り合ったわけです。
カニエやヴァージルたちのストリートファッションが90年代のテクノカルチャーにそっくりだなと思って、これなら自分にも理解できると思えたんです。彼らと出会えたことでいわゆるファッションの世界に引き込んでもらった。それ以前にマークがデザイナーをしていた頃は、やれオートクチュールだ、プレタだと言われた時代じゃないですか。はっきり言って僕にはさっぱり分からなかったんですよ。ストリートなら我々のテリトリーだし、僕的にファッションというものがようやく咀嚼できて、その文脈が今後も続いていくんじゃないですかね。
村上 僕がヴァージルに初めて会ってから2年後に就任ですからね。2016年にカリフォルニアで始まったストリート・カルチャーの祭典『ComplexCon』の第1回に僕やファレル・ウィリアムスがホスト兼アートディレクターとして参加し、そこでヴァージルと知り合ったわけです。
カニエやヴァージルたちのストリートファッションが90年代のテクノカルチャーにそっくりだなと思って、これなら自分にも理解できると思えたんです。彼らと出会えたことでいわゆるファッションの世界に引き込んでもらった。それ以前にマークがデザイナーをしていた頃は、やれオートクチュールだ、プレタだと言われた時代じゃないですか。はっきり言って僕にはさっぱり分からなかったんですよ。ストリートなら我々のテリトリーだし、僕的にファッションというものがようやく咀嚼できて、その文脈が今後も続いていくんじゃないですかね。
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