FASHION
【独占インタビュー】NIGO®による〈KENZO〉デビューコレクションはいかにして作られたか!?
| Fashion, Design | casabrutus.com | text_Yoichi Nishio
2021年9月、NIGO®の〈KENZO〉アーティスティックディレクター就任が発表。4か月後の2022年1月23日、1970年に高田賢三が最初のブティック〈ジャングル・ジャップ〉をオープンさせたパリのギャラリー・ヴィヴィエンヌにてランウェイショーが開催。そのデビューコレクションはいかにして作られたか、独占インタビューでお届けします!
── そもそもの始まりについて教えてください。
NIGO® 2021年6月くらいだったかな? 〈ルイ・ヴィトン〉のCEO、マイケル・バークから「興味ある?」という感じで連絡が来て。ヴァージル・アブローに声を掛けてもらった「LV²(ルイ・ヴィトン LV スクエアード コレクション)」は良い結果を残せたと聞いていたから、LVMHグループの中で名前が挙がったんだと思うんですよね。ただ、おそらく候補は僕一人だけじゃなかったはずで、最初にデザイン画を提出したりしました。
〈KENZO〉は日本人が創業したブランドだし、「LV²」をやったことでメゾンのプロセスは感覚値としてあったので、良い話をいただいたなとは思いました。ただ、僕が普段やっていることと本場のファッションは異種格闘技くらい違うというか、相撲の力士がUFCの柵の中に入るようなものなので(笑)、ストリートファッションの世界でいくら強くても、違う戦場に行くとどう出るかわからないという気持ちもありました。
NIGO® 2021年6月くらいだったかな? 〈ルイ・ヴィトン〉のCEO、マイケル・バークから「興味ある?」という感じで連絡が来て。ヴァージル・アブローに声を掛けてもらった「LV²(ルイ・ヴィトン LV スクエアード コレクション)」は良い結果を残せたと聞いていたから、LVMHグループの中で名前が挙がったんだと思うんですよね。ただ、おそらく候補は僕一人だけじゃなかったはずで、最初にデザイン画を提出したりしました。
〈KENZO〉は日本人が創業したブランドだし、「LV²」をやったことでメゾンのプロセスは感覚値としてあったので、良い話をいただいたなとは思いました。ただ、僕が普段やっていることと本場のファッションは異種格闘技くらい違うというか、相撲の力士がUFCの柵の中に入るようなものなので(笑)、ストリートファッションの世界でいくら強くても、違う戦場に行くとどう出るかわからないという気持ちもありました。
「KENZO FALL/WINTER 2022 SHOW BY NIGO」の動画。
── 「LV²」の話が来たときは最初は断ったと言っていたじゃないですか。パリとかファッションとかの第一線に出てやる気分でなかったと。
NIGO® そうですね。でも、いざ引き受けてみたら結果も良くて、コレクションを2回もできたということで、自分の中で気持ちの変化はあったんでしょうね。そもそもは自分がファッションの本拠地であるパリに行くとは思っていなかったし、全く興味もなかったから。自分はいわゆるストリートといわれることをやってきて、モードの世界とは全然違うという意識があったけど、僕みたいな人が指名されるあたり時代も変わったんでしょうね。まぁ、この流れはヴァージルの存在が大きかったと思いますけど。
そういえば何かの記事で読んだのですが、今の人たちはストリートな格好で育ってきたから、大人になってもその延長にあるものを買いたいと思うのは当然のことだみたいな。それは確かになと思ったんですよ。僕自身、最近のショーはハイプすぎるというか、実際に着たいと思えるものがあまりないということは感じていました。ショーを見て「うわっ、これ超欲しい!」と思って服を買うというのがファッションとしては正しいと思うんですよ。「Real to Wear」というか。
だから、今回のショーは僕としては服本来が持つオリジナルの魅力に戻していったつもりだったんですけど、今やそれが新しく見えたようですね。ショーのための服ってあんまり意味がない気がするので、そこは原点に戻したなっていう。
NIGO® そうですね。でも、いざ引き受けてみたら結果も良くて、コレクションを2回もできたということで、自分の中で気持ちの変化はあったんでしょうね。そもそもは自分がファッションの本拠地であるパリに行くとは思っていなかったし、全く興味もなかったから。自分はいわゆるストリートといわれることをやってきて、モードの世界とは全然違うという意識があったけど、僕みたいな人が指名されるあたり時代も変わったんでしょうね。まぁ、この流れはヴァージルの存在が大きかったと思いますけど。
そういえば何かの記事で読んだのですが、今の人たちはストリートな格好で育ってきたから、大人になってもその延長にあるものを買いたいと思うのは当然のことだみたいな。それは確かになと思ったんですよ。僕自身、最近のショーはハイプすぎるというか、実際に着たいと思えるものがあまりないということは感じていました。ショーを見て「うわっ、これ超欲しい!」と思って服を買うというのがファッションとしては正しいと思うんですよ。「Real to Wear」というか。
だから、今回のショーは僕としては服本来が持つオリジナルの魅力に戻していったつもりだったんですけど、今やそれが新しく見えたようですね。ショーのための服ってあんまり意味がない気がするので、そこは原点に戻したなっていう。
──アーティスティックディレクターとしての仕事はどういったところから始めていったのですか?
NIGO® ロゴから、シーズンカラー、紙袋、ハンガーのデザインに至るまで、もうやることが無数にありましたね。 だから、9月の就任発表の直後にパリに2週間ほど滞在したんですけど、ホテルと〈KENZO〉本社の往復しかしていない(笑)。あとはショー会場の視察に行った程度で。
ロゴやレーベルに関しては1980年代から何度か作り直されているのですが、僕はパリでやる以上「KENZO PARIS」と入れたくて。さらに高田賢三さんは「色の魔術師」と呼ばれたくらい色使いがすごかったのですが、自分的にロゴの色はオリジナルに近い赤に落ち着きました。
──メゾンのアーティスティックディレクターらしく、デザイン画は細かく描いていったのですか?
NIGO® いや、もともとデザイン画はあまり描かないので。僕の服作りはアメリカン・ヴィンテージなどを再構築していくやり方です。なので〈KENZO〉のアーカイヴにもすごい興味があって最初にたくさん見せてもらったんです。自分でも面白いピースはいくつか持っていましたが、メゾンでは自分も見習わなくちゃと思ったくらい(笑)、全てのアーカイヴがきっちり管理されていました。
NIGO® ロゴから、シーズンカラー、紙袋、ハンガーのデザインに至るまで、もうやることが無数にありましたね。 だから、9月の就任発表の直後にパリに2週間ほど滞在したんですけど、ホテルと〈KENZO〉本社の往復しかしていない(笑)。あとはショー会場の視察に行った程度で。
ロゴやレーベルに関しては1980年代から何度か作り直されているのですが、僕はパリでやる以上「KENZO PARIS」と入れたくて。さらに高田賢三さんは「色の魔術師」と呼ばれたくらい色使いがすごかったのですが、自分的にロゴの色はオリジナルに近い赤に落ち着きました。
──メゾンのアーティスティックディレクターらしく、デザイン画は細かく描いていったのですか?
NIGO® いや、もともとデザイン画はあまり描かないので。僕の服作りはアメリカン・ヴィンテージなどを再構築していくやり方です。なので〈KENZO〉のアーカイヴにもすごい興味があって最初にたくさん見せてもらったんです。自分でも面白いピースはいくつか持っていましたが、メゾンでは自分も見習わなくちゃと思ったくらい(笑)、全てのアーカイヴがきっちり管理されていました。
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