DESIGN
祝30周年! 清永浩文と相澤陽介が語るJリーグのデザイン。
October 17, 2023 | Design, Culture | casabrutus.com | photo_Kazufumi Shimoyashiki text_Yoshinao Yamada
1993年5月15日、ヴェルディ川崎 VS 横浜マリノス。この日の開幕戦をきっかけに、Jリーグは30年の歴史を歩み始めた。次なる時代を見据えるJリーグはいま、クリエイティブの強化に力をいれる。それを象徴するのがファッションブランド〈SOPH.〉の元デザイナーであり、無類のサッカーファンとしても知られる清永浩文のクリエイティブ・ダイレクター就任だ。一方で〈北海道コンサドーレ札幌〉はチームを運営する株式会社コンサドーレの取締役、そしてクリエイティブディレクターとして〈ホワイトマウンテニアリング〉の相澤陽介を迎え入れた。2023年6月に移転した新オフィスを舞台に、二人の対談からJリーグのこれからを探っていこう。
清永が〈SOPH.〉を立ち上げたのは1998年。日本代表がサッカーワールドカップに初出場した年だ。同時に2002年に日韓共同開催でワールドカップが開かれることも決まり、日本におけるサッカー熱が最高潮にある時期だったと清永は振り返る。1998年6月、〈SOPH.〉の展示会を終えた清永は日本チームの応援を目的に1ヶ月にわたってフランスに滞在する。そこで目にした風景が、ブランドとサッカーをつなぐことになる。
「いまでこそ街中でユニフォームを着て歩く風景は当たり前ですが、当時の日本では少なかった印象です。それがヨーロッパでは、ユニフォームが日常着として文化に溶け込んでいる。日本でもこの文化が根付けば面白いだろうと考えるうちに、ファッションからサッカーの盛り上がりを手伝うことができないかと考えるようになりました。そこで架空のサッカーチームのウェアを作ろうということでスポーツミックススタイルのブランド〈F.C.Real Bristol〉を始めたんです」
さらに清永の地元である大分で、現在の〈大分トリニータ〉の前身となるクラブチーム設立の動きが起こった。地元からの新たな動きに賛同したいとブランド設立からわずか半年でスポンサー契約を行った。利益をいかにサッカーへ還元するか。ファッションメーカーがスポーツメーカーとコラボすることが一般的ではなかった時代、清永はブランド黎明期から活動はサッカーとともにあった。
「当時はファッションとスポーツをリンクする人はいなかったし、サッカーでいえば当時はパスコースがガラ空きだったんです。」と、振り返る。
「いまでこそ街中でユニフォームを着て歩く風景は当たり前ですが、当時の日本では少なかった印象です。それがヨーロッパでは、ユニフォームが日常着として文化に溶け込んでいる。日本でもこの文化が根付けば面白いだろうと考えるうちに、ファッションからサッカーの盛り上がりを手伝うことができないかと考えるようになりました。そこで架空のサッカーチームのウェアを作ろうということでスポーツミックススタイルのブランド〈F.C.Real Bristol〉を始めたんです」
さらに清永の地元である大分で、現在の〈大分トリニータ〉の前身となるクラブチーム設立の動きが起こった。地元からの新たな動きに賛同したいとブランド設立からわずか半年でスポンサー契約を行った。利益をいかにサッカーへ還元するか。ファッションメーカーがスポーツメーカーとコラボすることが一般的ではなかった時代、清永はブランド黎明期から活動はサッカーとともにあった。
「当時はファッションとスポーツをリンクする人はいなかったし、サッカーでいえば当時はパスコースがガラ空きだったんです。」と、振り返る。
一方の相澤は埼玉県所沢市生まれ。西武ライオンズの本拠地、西武球場の近くで育った。野球文化が盛り上がる土地ゆえ、そことは少し距離を感じていたと振り返る。そのなかでJリーグの立ち上がりは、これまでスポーツに抱いていたイメージと大きく違うものだったという。
「ファッションに熱中していた高校一年生の時にJリーグが始まりました。三浦知良さんや北澤豪さんのファッションにも注目が集まるサッカーのカルチャーは、それまで知っていた野球の文化と大きく違うものだった。だから僕はサッカーの内容よりも個人の選手、その人となりのスタイルのかっこよさみたいなところからサッカーに興味を持ちはじめました」
2006年に〈ホワイトマウンテニアリング〉を立ち上げると、ヨーロッパのブランドからコラボレーションのオファーが続いた。プロジェクトのたびに現地へ足を運ぶと、多くのブランドオーナーは自身がもつサッカーチームの年間シートに相澤を誘った。もともといろいろなスポーツのユニフォームを集めていた相澤はやがて、スポーツマネジメントとしてのクラブ運営にも興味を持ち始める。さらにロンドン五輪の日本選手団用ウォームアップウェアなど、ユニフォームへの関与も増えた。
そんな相澤にユニフォームと地域性にまつわるインタビューした記事が、フットボールカルチャーマガジン『SHUKYU Magazine』に掲載される。これを見た北海道コンサドーレ札幌からクリエイティブに関わってほしいと依頼が届く。2019年、相澤は〈北海道コンサドーレ札幌〉のクリエイティブディレクターに就任。2021年には同チームを運営する株式会社コンサドーレの取締役に就任した。
「ファッションに熱中していた高校一年生の時にJリーグが始まりました。三浦知良さんや北澤豪さんのファッションにも注目が集まるサッカーのカルチャーは、それまで知っていた野球の文化と大きく違うものだった。だから僕はサッカーの内容よりも個人の選手、その人となりのスタイルのかっこよさみたいなところからサッカーに興味を持ちはじめました」
2006年に〈ホワイトマウンテニアリング〉を立ち上げると、ヨーロッパのブランドからコラボレーションのオファーが続いた。プロジェクトのたびに現地へ足を運ぶと、多くのブランドオーナーは自身がもつサッカーチームの年間シートに相澤を誘った。もともといろいろなスポーツのユニフォームを集めていた相澤はやがて、スポーツマネジメントとしてのクラブ運営にも興味を持ち始める。さらにロンドン五輪の日本選手団用ウォームアップウェアなど、ユニフォームへの関与も増えた。
そんな相澤にユニフォームと地域性にまつわるインタビューした記事が、フットボールカルチャーマガジン『SHUKYU Magazine』に掲載される。これを見た北海道コンサドーレ札幌からクリエイティブに関わってほしいと依頼が届く。2019年、相澤は〈北海道コンサドーレ札幌〉のクリエイティブディレクターに就任。2021年には同チームを運営する株式会社コンサドーレの取締役に就任した。
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