DESIGN
【編集後記】『にほんごであそぼ』アートディレクター、佐藤卓インタビュー。
February 23, 2022 | Design | casabrutus.com | photo_Tomohiro Mazawa text_Housekeepr
【編集後記】では特集のこぼれ話や編集部視点の番外編をお届け。3月号の「こどもとデザイン100」で〈富山県美術館〉の〈オノマトペの屋上〉という遊具庭園をデザインした佐藤卓さんにインタビューしていると、ご本人がアートディレクションを手がけたEテレの人気長寿番組『にほんごであそぼ』に話がおよびました。そこから話はどんどん膨らんで......。本誌には収録できなかったけど興味深かったコメントを公開します。
●テレビ放送用の書体と文字組を、一からオリジナルで作る。
―『にほんごであそぼ』※はどうやって始まったんですか?
※2003年から続くNHK Eテレの人気番組。「日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につけることによって、コミュニケーション能力や自己表現する感性を育みます」NHK公式ウェブサイトより。
2001年に松屋銀座の小さなデザインギャラリーで『デザインの解剖』というプロジェクトを始めたんです。チューインガムがどうできているのかをデザインの視点で解剖していくという。なんのマークなのか、どうしてこの色なのか、この粒の数に理由はあるのか。そもそもなぜ粒の形なのか、断面はどうなっているのか......。徹底的にモノの中身を解剖するというのを実験的にやって、それがそのままライフワークになったんですけど。
チューインガムって対象が子どもから大人までじゃないですか。それで、こういう試みは面白いですね、と展示を見に来てくれていたテレビ局のプロデューサーが興味を持ってくれて。子ども向けの日本語番組を作りたいと思ったときに、アートディレクターがいてほしいと声をかけていただきました。
それまでテレビ番組にアートディレクターという立場の人はあまりいませんでした。ちょうど佐藤雅彦さんがそういう立場で一足早く入ったくらいでしたね。『だんご三兄弟』を手がけたくらいだったかな。
面白そうだからとりあえずミーティングに行ってみた。そしたら、10分の番組で、日本語がテーマで、斎藤孝さんが総合指導を務めるということだけが決まっていて、ミーティングで思ったことをデザイナーの視点からいろいろ言っていたら、いつの間にかチームに入っちゃってたんです(笑)。
番組だから文字を使いますよね。この中からフォントを選んでくださいと言われる訳ですが、グラフィックデザインで文字にこだわっていますから、こんな文字しか使えないのかと。子ども向けとはいえ、ちゃんと本物を提供しないといけないと思って。大人が思う子どもっぽさを子どもに押し付けるのは間違いだと思ったんです。
なんとなくキャッキャ騒いでる子ども番組は私はあまり好きでなくて。ちゃんと文字は文字で、大人が準備したいい書体を提供する。文字一つでも引っかかる訳です。テレビ制作の流れに対して。文字に対して意見すると、「いちいち作ってたら大変なんですよ」って。そしたら、じゃあ、それうちでやりますから、ということで、文字組を全部、書体も作って。基本の書体を変形させてオリジナル化して、ひらがなカタカナはすぐ作れますけど、漢字は5000とか6000とかありますから、必要になったものをその都度作って、文字組して納品して使う。それを始めたんです。
※2003年から続くNHK Eテレの人気番組。「日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につけることによって、コミュニケーション能力や自己表現する感性を育みます」NHK公式ウェブサイトより。
2001年に松屋銀座の小さなデザインギャラリーで『デザインの解剖』というプロジェクトを始めたんです。チューインガムがどうできているのかをデザインの視点で解剖していくという。なんのマークなのか、どうしてこの色なのか、この粒の数に理由はあるのか。そもそもなぜ粒の形なのか、断面はどうなっているのか......。徹底的にモノの中身を解剖するというのを実験的にやって、それがそのままライフワークになったんですけど。
チューインガムって対象が子どもから大人までじゃないですか。それで、こういう試みは面白いですね、と展示を見に来てくれていたテレビ局のプロデューサーが興味を持ってくれて。子ども向けの日本語番組を作りたいと思ったときに、アートディレクターがいてほしいと声をかけていただきました。
それまでテレビ番組にアートディレクターという立場の人はあまりいませんでした。ちょうど佐藤雅彦さんがそういう立場で一足早く入ったくらいでしたね。『だんご三兄弟』を手がけたくらいだったかな。
面白そうだからとりあえずミーティングに行ってみた。そしたら、10分の番組で、日本語がテーマで、斎藤孝さんが総合指導を務めるということだけが決まっていて、ミーティングで思ったことをデザイナーの視点からいろいろ言っていたら、いつの間にかチームに入っちゃってたんです(笑)。
番組だから文字を使いますよね。この中からフォントを選んでくださいと言われる訳ですが、グラフィックデザインで文字にこだわっていますから、こんな文字しか使えないのかと。子ども向けとはいえ、ちゃんと本物を提供しないといけないと思って。大人が思う子どもっぽさを子どもに押し付けるのは間違いだと思ったんです。
なんとなくキャッキャ騒いでる子ども番組は私はあまり好きでなくて。ちゃんと文字は文字で、大人が準備したいい書体を提供する。文字一つでも引っかかる訳です。テレビ制作の流れに対して。文字に対して意見すると、「いちいち作ってたら大変なんですよ」って。そしたら、じゃあ、それうちでやりますから、ということで、文字組を全部、書体も作って。基本の書体を変形させてオリジナル化して、ひらがなカタカナはすぐ作れますけど、漢字は5000とか6000とかありますから、必要になったものをその都度作って、文字組して納品して使う。それを始めたんです。
●本物を与えれば、偽物がわかるようになる。
子どもから見たらなんでもないけれど、ちゃんと、丁寧に。子どもは文字も絶対見てるから。その辺りから、子ども向けだからといって、子ども向けに作らない。大人向けに作る、っていうことの大切さを改めて認識しました。なんで日本って子どもに子どもっぽいものを与えるんだろうって疑問で。本物でいいじゃんっていう。
本物を与えていると、偽物に出会ったときに偽物ってわかるんですよ、将来。楽器なんかでもよく言いますよね。本当に音楽家を育てたかったら最初からいい楽器を与えろと。そうするといい楽器、というのが当たり前になるから、質の悪いものはすぐわかる。本物を刷り込んでおくっていうんですかね。それが教育のすごく重要な部分だと思います。食べ物でもなんでもそうだと思います。本当に美味しいものを食べていれば、好き嫌いもあるでしょうが、美味しいもの、まずいものってわかるでしょうし。小さいときに基準ができるらしいじゃないですか。美味しくて体にいいものをちゃんと与えて基準を作ったほうが、将来にとってもいい。
子どもも、いいものと今ひとつのものとの違いは感じているはずなんですよ。言葉にはできないし、周りが騒いでると自分も騒いじゃったりするんだけど。だけどこっちよりこっちの方がいいな、というのは絶対感じてるんじゃないかと思います。
あと、子どもって何に興味を持っているか分からないので、例えばぼーっとしてたっていいじゃないかって思うんですよ。ぼーっとしてるように見えたって、何考えてるか分からないんですから、そこで大人がぼーっとしてるんじゃないの、とか言って押さえつけることはできるだけしない方がいいんじゃないかと思います。
―今子どもたちは忙しいですからね。習い事をしたり......
そうですね。とはいえ、ゆとり教育にはあまり賛成できませんけど。わからないだろうと思って子どもに与えないというのはちょっと違う。とかく世の中ってそちらの方向に流れていってしまいがちですが、間違っている。「わからないけれどもいいもの」を与えるのが大人の責任。子どもは基本的にはわからないものに興味を持つので。これはなんだろうって。そこにいいものを提供していく。
本物を与えていると、偽物に出会ったときに偽物ってわかるんですよ、将来。楽器なんかでもよく言いますよね。本当に音楽家を育てたかったら最初からいい楽器を与えろと。そうするといい楽器、というのが当たり前になるから、質の悪いものはすぐわかる。本物を刷り込んでおくっていうんですかね。それが教育のすごく重要な部分だと思います。食べ物でもなんでもそうだと思います。本当に美味しいものを食べていれば、好き嫌いもあるでしょうが、美味しいもの、まずいものってわかるでしょうし。小さいときに基準ができるらしいじゃないですか。美味しくて体にいいものをちゃんと与えて基準を作ったほうが、将来にとってもいい。
子どもも、いいものと今ひとつのものとの違いは感じているはずなんですよ。言葉にはできないし、周りが騒いでると自分も騒いじゃったりするんだけど。だけどこっちよりこっちの方がいいな、というのは絶対感じてるんじゃないかと思います。
あと、子どもって何に興味を持っているか分からないので、例えばぼーっとしてたっていいじゃないかって思うんですよ。ぼーっとしてるように見えたって、何考えてるか分からないんですから、そこで大人がぼーっとしてるんじゃないの、とか言って押さえつけることはできるだけしない方がいいんじゃないかと思います。
―今子どもたちは忙しいですからね。習い事をしたり......
そうですね。とはいえ、ゆとり教育にはあまり賛成できませんけど。わからないだろうと思って子どもに与えないというのはちょっと違う。とかく世の中ってそちらの方向に流れていってしまいがちですが、間違っている。「わからないけれどもいいもの」を与えるのが大人の責任。子どもは基本的にはわからないものに興味を持つので。これはなんだろうって。そこにいいものを提供していく。
●夢中は最強。
それから思うのは、大人が夢中になっているものに、子どもは興味を持ちますよね。夢中になって釣りをしていたら、「僕も連れていって」と。何がそんなに面白いのかっていうのに興味が湧くわけです。母親が料理とかスイーツを作るのにものすごく夢中になっていたら、子どもも手伝いたくなる。夢中っていうのは、他のものが視野に入らないくらいにやること。夢中になってるものがあると、子どもは絶対に影響を受けると思います。「なになになに?」って。大人が覗き込んでいたら絶対に子どもも覗き込みますから。
―先日〈オノマトペの屋上〉の撮影の際、カメラマンにお子さんを連れてきてもらったんですけど、やっぱり息子さんも途中から写真を撮りたがって。パパがチェキを出してあげたら、パシャパシャ楽しそうに撮っていました。
そうですか。夢中になることがない親、大人、っていうのがいらっしゃるとしたら、非常に残念というか。私は若い時から好きなものが多すぎて困って(笑)。実は私には子どもはいないんですが、夢中になる姿というのは、周りの人の気持ちを引くと思います。すごく重要なことなんじゃないかと思います。
―大人が魅力的であるということが、子どもの好奇心を刺激する。
そうそう。やはり何かに夢中になれる子どもに育ってほしいですよね。遊びだって本気で夢中になったら面白いですから。スケボーだってもとは遊びでしょ。それがオリンピックであんなことになっちゃうわけですから。夢中になってやってるうちに。なんでもいいんですよ。
―夢中といえば、佐藤さんは子どもの頃からいろいろなものをご自分で作られていたと著書やインタビューで読んだんですが、そうやって自分でプロトタイプしてみる、といった経験も、子どもはしたほうがいいんですかね?
そうですね。これはよく言われることだけど、今は大体ほとんどのものが準備されてしまっていて、それをただ選択するだけで、ある程度整ってしまう。だから夢中になる部分が削ぎ落とされてしまっている。逆にその部分を通り越したようなものばかりが目の前に並んでいるわけです。だからそうではなくて自分で作る。遊びも自分で考える。その面白さをできるだけ早く環境として大人が準備してあげるのは重要なことかもしれませんね。
遊びの元はどこにでもあると思う。紙一枚、石一個でも遊べると思う。遊びを発見する面白さを、大人が見本を見せてあげられたらいいじゃないでしょうか。昔は、よく、湖とか川で薄べったい石を投げて、水切りをやったじゃないですか。あんなの目の前で見せられたら絶対やりたくなるでしょう、なんでこんなことができるんだ?と。あれは川とか湖と石、そこにあるものだけで3回4回と競い合えるわけだもんね。そういう単純な方が逆に燃えたりしてね。
ゲームを否定するわけじゃないんだけど、すぐ子どももモニターに向かってしまう。そうじゃないものを、もうちょっとアナログなものが面白くなる環境をどう作れるか、というのは課題かもしれませんね。私たちも放っておいたらスマホを見ちゃうでしょ(笑)。それを見てる子どもはやっぱり(モニターに)向かうよ。だって、ある意味大人がスマホに夢中なんだから。そりゃ子どもだってね。
―親御さんはみんな(子どもが)スマホを見るのに悩んでますけどね、親が見てるんですよね。
そうだよ、大人が見てるんだから、それを否定したって無理だよ。例えば大人が本を読むとか、なんでもいいんですけど、散歩に行くとか、野山に行くとか、身体を使って夢中になっているものをどれだけ見せられるかが大切だと思うね。
東京に大雪が降った年始、道の端に残った雪を何かに見立てて、楽しそうに身体を動かす子どもの姿を見かけました。
「遊びはどこでも発見できる」そのささやかな証左を見た気がして、佐藤さんの言葉を思い出しました。
特集担当編集/井手裕介
―先日〈オノマトペの屋上〉の撮影の際、カメラマンにお子さんを連れてきてもらったんですけど、やっぱり息子さんも途中から写真を撮りたがって。パパがチェキを出してあげたら、パシャパシャ楽しそうに撮っていました。
そうですか。夢中になることがない親、大人、っていうのがいらっしゃるとしたら、非常に残念というか。私は若い時から好きなものが多すぎて困って(笑)。実は私には子どもはいないんですが、夢中になる姿というのは、周りの人の気持ちを引くと思います。すごく重要なことなんじゃないかと思います。
―大人が魅力的であるということが、子どもの好奇心を刺激する。
そうそう。やはり何かに夢中になれる子どもに育ってほしいですよね。遊びだって本気で夢中になったら面白いですから。スケボーだってもとは遊びでしょ。それがオリンピックであんなことになっちゃうわけですから。夢中になってやってるうちに。なんでもいいんですよ。
―夢中といえば、佐藤さんは子どもの頃からいろいろなものをご自分で作られていたと著書やインタビューで読んだんですが、そうやって自分でプロトタイプしてみる、といった経験も、子どもはしたほうがいいんですかね?
そうですね。これはよく言われることだけど、今は大体ほとんどのものが準備されてしまっていて、それをただ選択するだけで、ある程度整ってしまう。だから夢中になる部分が削ぎ落とされてしまっている。逆にその部分を通り越したようなものばかりが目の前に並んでいるわけです。だからそうではなくて自分で作る。遊びも自分で考える。その面白さをできるだけ早く環境として大人が準備してあげるのは重要なことかもしれませんね。
遊びの元はどこにでもあると思う。紙一枚、石一個でも遊べると思う。遊びを発見する面白さを、大人が見本を見せてあげられたらいいじゃないでしょうか。昔は、よく、湖とか川で薄べったい石を投げて、水切りをやったじゃないですか。あんなの目の前で見せられたら絶対やりたくなるでしょう、なんでこんなことができるんだ?と。あれは川とか湖と石、そこにあるものだけで3回4回と競い合えるわけだもんね。そういう単純な方が逆に燃えたりしてね。
ゲームを否定するわけじゃないんだけど、すぐ子どももモニターに向かってしまう。そうじゃないものを、もうちょっとアナログなものが面白くなる環境をどう作れるか、というのは課題かもしれませんね。私たちも放っておいたらスマホを見ちゃうでしょ(笑)。それを見てる子どもはやっぱり(モニターに)向かうよ。だって、ある意味大人がスマホに夢中なんだから。そりゃ子どもだってね。
―親御さんはみんな(子どもが)スマホを見るのに悩んでますけどね、親が見てるんですよね。
そうだよ、大人が見てるんだから、それを否定したって無理だよ。例えば大人が本を読むとか、なんでもいいんですけど、散歩に行くとか、野山に行くとか、身体を使って夢中になっているものをどれだけ見せられるかが大切だと思うね。
東京に大雪が降った年始、道の端に残った雪を何かに見立てて、楽しそうに身体を動かす子どもの姿を見かけました。
「遊びはどこでも発見できる」そのささやかな証左を見た気がして、佐藤さんの言葉を思い出しました。
特集担当編集/井手裕介
佐藤卓
さとう たく NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」総合指導、〈21_21 DESIGN SIGHT〉館長を務めるなど多岐にわたって活動。展覧会に『water』『縄文人展』『デザインの解剖展』『デザインあ展』など。著書に『塑する思考』(新潮社)、『大量生産品のデザイン論-経済と文化を分けない思考-』(PHP新書)など。