DESIGN
裂く、編む、作る。小京都・角館のイタヤ細工。|行くぜ、東北。
November 24, 2015 | Design | sponsored | photo_Tetsuya Ito text_Yoshikazu Itamoto (SHOE PRESs) editor_Akio Mitomi
秋田県仙北市角館町の雲然(くもしかり)地区に200年以上前から伝わるイタヤ細工。農具から出発した素朴な工芸品は、全て手仕事でつくられる。丈夫で長もち、手直しもきくため、今では普段づかいの日用品としても人気を集めています。
シダレザクラに彩られた武家屋敷の風景が全国に知られる、秋田県仙北市の角館町。観光客が行き交う武家屋敷通りから外れた小路を入っていくと、そこに佐竹家家臣の武家屋敷〈旧松本家住宅〉がある。母屋の軒先に、所狭しと並べられているのが、菅原清澄さん・西宮麻巨(まみ)さん父娘が作るイタヤ細工だ。
寛政年間(1789~1801年)に始まったとされる角館のイタヤ細工は、発祥の文献などが残ってない。竹の自生がなかった角館で、イタヤカエデを用いて独自に発展していったのではないかと伝わるくらいだ。「昔は農家が農閑期に出稼ぎに行くのが当たり前。でもこの地区ではイタヤ細工があったから、あまり出稼ぎにも行かずに済んだ」と話しながら、ノコギリやノミで“ガツッガツッ”と清澄さんがイタヤを削る。その脇で麻巨さんがカゴを編む。軒先から見える6畳間がイタヤ細工の実演場所になっていて、職人の技を間近で見学できるのだ。
寛政年間(1789~1801年)に始まったとされる角館のイタヤ細工は、発祥の文献などが残ってない。竹の自生がなかった角館で、イタヤカエデを用いて独自に発展していったのではないかと伝わるくらいだ。「昔は農家が農閑期に出稼ぎに行くのが当たり前。でもこの地区ではイタヤ細工があったから、あまり出稼ぎにも行かずに済んだ」と話しながら、ノコギリやノミで“ガツッガツッ”と清澄さんがイタヤを削る。その脇で麻巨さんがカゴを編む。軒先から見える6畳間がイタヤ細工の実演場所になっていて、職人の技を間近で見学できるのだ。
イタヤ細工は、イタヤカエデの幹を帯状に裂くところから始まる。つぎに1mm以下の薄い板に削り出し、しなやかな材料とする。そのあと、デザインに合わせ編み上げていくが、特に設計図があるわけではない。思い描く完成品にしていくために、手がよどみなく動くだけだ。“スパッ、ギュッギュッ……”“スパッ、ギュッ……”清澄さんも麻巨さんも、笑顔で話しつつ手が止まることはない。作り方は手が覚えているのだ。
清澄さんがイタヤ細工を始めたのは38歳の頃。幼い時から父の仕事を見ていたので、難しいと感じることはあまりなかった。父の仕事を「見て」自分で作る。ただ、新しい製品を作ろうとする時は、試行錯誤を繰り返した。伝統の製品だけを作っているだけでは「おもしろくない」と、若い頃の清澄さんは精力的に新作に挑んだ。
清澄さんがイタヤ細工を始めたのは38歳の頃。幼い時から父の仕事を見ていたので、難しいと感じることはあまりなかった。父の仕事を「見て」自分で作る。ただ、新しい製品を作ろうとする時は、試行錯誤を繰り返した。伝統の製品だけを作っているだけでは「おもしろくない」と、若い頃の清澄さんは精力的に新作に挑んだ。
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