CULTURE
黒川紀章の名言「建築とは(情報の)流動であり、…」【本と名言365】
August 30, 2024 | Culture, Architecture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。メタボリズムを提唱したことで知られる黒川紀章。その先進的な考えは黒川の建築だけでは読み解きにくい。非常に数多くの著作を遺した黒川の初期作を読み解きながら、メタボリズムの根底に触れてみよう。
建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である。
2022年、建築家の黒川紀章が設計した〈中銀カプセルタワービル〉が解体された。都心型のセカンドハウスとして計画された建物は世界の建築史に名を刻む重要な作品だ。解体後のカプセルは国内外のさまざまな施設で収蔵、再活用されている。
1959年、黒川はわずか25歳にして、浅田孝、大高正人、槇文彦、菊竹清訓、粟津潔、栄久庵憲司、川添登らと世界が注目した日本発の建築理論、メタボリズムを提唱した。翌年にはメタボリズム・グループとして世界デザイン会議に参加。社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を黒川は実践していく。1967年に発表した著作『行動建築論 メタボリズムの美学』は、33歳の黒川がそれまでに記した文章をまとめたものだ。1972年完成の〈中銀カプセルタワービル〉に先立ち、1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博の狭間に出版された。戦後の混乱期を脱し、日本が次々と建築や都市の新しいビジョンを描いた時期だ。
本書を読むと黒川がいかに先見性をもち、都市を構想した建築家であったかがわかる。急激に変化する時代において、都市は生物のような新陳代謝を行えない。だからこそ新陳代謝を促す都市の仕組みを考えようと黒川は訴える。黒川は「建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である。」と書いた。機能や思想や技術を積分するのではなく、それらの矛盾を積極的に激突させるものが建築だと表現する。ここで人工知能の登場を予見するような考えをもとに、今後進歩していくであろう「設計の方法」と構想の間に激しい対立を誘発させ、空間を発生させる仕掛けや道具を見つけねばならないと続ける。黒川にとってそれが「メタボリズム」だった。
「都市と建築を人間と機械の二律背反と考えないで、「流れ」の念を媒介として、二律背反そのものの存在を認めるのである。(中略)人間・エネルギー・応力・季節・光・コミュニケーションの時間と共に、移り変わる流動をかたちにするのである。」
若き黒川が高度に情報化の進んだ現在を見つめたら、どんな都市を描くのだろう。建築はやがて古びてなくなっても、思想は永遠とも言った。彼が思い描いたメタボリズムは、まだ実現されたと言えない。その思想はこれからも人々に受け継がれ、社会の思考そのものの新陳代謝を促すことだろう。
2022年、建築家の黒川紀章が設計した〈中銀カプセルタワービル〉が解体された。都心型のセカンドハウスとして計画された建物は世界の建築史に名を刻む重要な作品だ。解体後のカプセルは国内外のさまざまな施設で収蔵、再活用されている。
1959年、黒川はわずか25歳にして、浅田孝、大高正人、槇文彦、菊竹清訓、粟津潔、栄久庵憲司、川添登らと世界が注目した日本発の建築理論、メタボリズムを提唱した。翌年にはメタボリズム・グループとして世界デザイン会議に参加。社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を黒川は実践していく。1967年に発表した著作『行動建築論 メタボリズムの美学』は、33歳の黒川がそれまでに記した文章をまとめたものだ。1972年完成の〈中銀カプセルタワービル〉に先立ち、1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博の狭間に出版された。戦後の混乱期を脱し、日本が次々と建築や都市の新しいビジョンを描いた時期だ。
本書を読むと黒川がいかに先見性をもち、都市を構想した建築家であったかがわかる。急激に変化する時代において、都市は生物のような新陳代謝を行えない。だからこそ新陳代謝を促す都市の仕組みを考えようと黒川は訴える。黒川は「建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である。」と書いた。機能や思想や技術を積分するのではなく、それらの矛盾を積極的に激突させるものが建築だと表現する。ここで人工知能の登場を予見するような考えをもとに、今後進歩していくであろう「設計の方法」と構想の間に激しい対立を誘発させ、空間を発生させる仕掛けや道具を見つけねばならないと続ける。黒川にとってそれが「メタボリズム」だった。
「都市と建築を人間と機械の二律背反と考えないで、「流れ」の念を媒介として、二律背反そのものの存在を認めるのである。(中略)人間・エネルギー・応力・季節・光・コミュニケーションの時間と共に、移り変わる流動をかたちにするのである。」
若き黒川が高度に情報化の進んだ現在を見つめたら、どんな都市を描くのだろう。建築はやがて古びてなくなっても、思想は永遠とも言った。彼が思い描いたメタボリズムは、まだ実現されたと言えない。その思想はこれからも人々に受け継がれ、社会の思考そのものの新陳代謝を促すことだろう。
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