CULTURE
ヘリット・トーマス・リートフェルトの名言「たとえ建築がほかにどのようなことを為すとしても、…」【本と名言365】
August 21, 2024 | Culture, Architecture, Design | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Yoshinao Yamada illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。ジグザグ状に板をつないだ椅子や赤青黄の三色で塗り分けられた椅子で知られる建築家でデザイナーのヘリット・トーマス・リートフェルト。家具、建築をともに空間を生み出す仕組みと考えた彼が残した言葉を紹介します。
たとえ建築がほかにどのようなことを為すとしても、決して空間そのものを損なってはならない
もし、この名作がいま発表されたなら。ヘリット・トーマス・リートフェルトがデザインした椅子《シグザグチェア》や《レッドアンドブルー・チェア》は、その後の家具に大きく影響を与えながら他にないオリジナリティを持ち続ける。発表から一世紀近くを迎えるが、いま発表されたとしても大きな話題を呼ぶことだろう。
リートフェルトは大工である父親のもとに生まれ、1917年に独立して家具工房を構える。独立までの期間、建築家のアトリエに出入りしたことでフランク・ロイド・ライトらの建築に触れたという。1919年、リートフェルトは『デ・ステイル』に出合う。『デ・ステイル』はピート・モンドリアンらがオランダで創刊した美術雑誌であり、この雑誌を拠点とした、画家、建築家、デザイナーらがおこした国際的活動を指す。この出会いがリートフェルトの代表作である家具や建築を生み出していった。
しかしあまりに有名な《レッドアンドブルー・チェア》はもともと無塗装で、やがてパーツ別に塗り分けられた。『デ・ステイル』の影響を受けて三原色に塗られたのは1923年頃とされ、これが現在まで名作として知られるようになる。規格化された木材を巧みに組み合わせた効率を重視した《レッドアンドブルー・チェア》はのちに、輸送用木箱のクレイトを応用したシリーズに発展。こちらは数年前にHAYが《クレイトコレクション》として復刻した。そして1924年、リートフェルトは建築家として処女作〈シュレーダー邸〉を発表する。
非対称な構成、三原色の採用、可能式間仕切りによる自由度の高い空間をもつ〈シュレーダー邸〉もまた、一世紀前に設計されたとは思えぬほどに現代的だ。「たとえ建築がほかにどのようなことを為すとしても、空間そのものを損なってはならない」と、リートフェルトは発言している。そしてデ・ステイルの代表作として知られる〈シュレーダー邸〉だが、先に語ったように空間のルーツにある《レッドアンドブルー・チェア》の原型はリートフェルトが『デ・ステイル』と出合う前に生まれたもの。その椅子は色以前に伝統的な木工技術であるダボ継ぎを使い、直交する三本の角材を軽やかに接合したことにこそ意味がある。その単純で明快な構成が空間に発展し、開放的で軽やかな空間につながった。
リートフェルトは60代を超えて、それまでの住宅建築から大型建築のプロジェクトを次々手がけていくようになる。最晩年こそ最も多忙な時期を迎えたリートフェルトだったが、その建築は最後まで初期からの信念を貫いたものであった。
もし、この名作がいま発表されたなら。ヘリット・トーマス・リートフェルトがデザインした椅子《シグザグチェア》や《レッドアンドブルー・チェア》は、その後の家具に大きく影響を与えながら他にないオリジナリティを持ち続ける。発表から一世紀近くを迎えるが、いま発表されたとしても大きな話題を呼ぶことだろう。
リートフェルトは大工である父親のもとに生まれ、1917年に独立して家具工房を構える。独立までの期間、建築家のアトリエに出入りしたことでフランク・ロイド・ライトらの建築に触れたという。1919年、リートフェルトは『デ・ステイル』に出合う。『デ・ステイル』はピート・モンドリアンらがオランダで創刊した美術雑誌であり、この雑誌を拠点とした、画家、建築家、デザイナーらがおこした国際的活動を指す。この出会いがリートフェルトの代表作である家具や建築を生み出していった。
しかしあまりに有名な《レッドアンドブルー・チェア》はもともと無塗装で、やがてパーツ別に塗り分けられた。『デ・ステイル』の影響を受けて三原色に塗られたのは1923年頃とされ、これが現在まで名作として知られるようになる。規格化された木材を巧みに組み合わせた効率を重視した《レッドアンドブルー・チェア》はのちに、輸送用木箱のクレイトを応用したシリーズに発展。こちらは数年前にHAYが《クレイトコレクション》として復刻した。そして1924年、リートフェルトは建築家として処女作〈シュレーダー邸〉を発表する。
非対称な構成、三原色の採用、可能式間仕切りによる自由度の高い空間をもつ〈シュレーダー邸〉もまた、一世紀前に設計されたとは思えぬほどに現代的だ。「たとえ建築がほかにどのようなことを為すとしても、空間そのものを損なってはならない」と、リートフェルトは発言している。そしてデ・ステイルの代表作として知られる〈シュレーダー邸〉だが、先に語ったように空間のルーツにある《レッドアンドブルー・チェア》の原型はリートフェルトが『デ・ステイル』と出合う前に生まれたもの。その椅子は色以前に伝統的な木工技術であるダボ継ぎを使い、直交する三本の角材を軽やかに接合したことにこそ意味がある。その単純で明快な構成が空間に発展し、開放的で軽やかな空間につながった。
リートフェルトは60代を超えて、それまでの住宅建築から大型建築のプロジェクトを次々手がけていくようになる。最晩年こそ最も多忙な時期を迎えたリートフェルトだったが、その建築は最後まで初期からの信念を貫いたものであった。
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