CULTURE
槇文彦の名言「建築は、人間と同様、遅かれ早かれ滅びるものですが…」【本と名言365】
July 15, 2024 | Culture, Design | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Housekeeper illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。丹下健三やホセ・ルイ・セルトらの意思を継ぎ、日本のモダニズム建築を牽引してきた槇文彦。都市と建築の繋がりを観察することで、ヒルサイドテラスなど地域コミュニティを生み出してきた巨匠が見つけた「滅びない建築」とは。
建築は、人間と同様、遅かれ早かれ滅びるものですが、残された思考の形式は滅びません。
1993年に「建築界のノーベル賞」とも言われるプリツカー賞を受賞した、日本を代表する建築家の槇文彦。今年の6月に惜しまれつつもこの世を去ったが、晩年まで精力的に建築の設計を続け、4月には鳥取県立美術館が竣工を迎えた。
戦後のモダニズム建築を牽引してきた建築家として知られる槇だが、エッセイ『漂うモダニズム』では、数多ある母語が時間の流れとともに交わり合い一つの普遍語が形成されるように、各地の生活様式に根差した土着的な建築が、モダニズムという大きな船のようなものに乗って一つの「型」となる規範的な様式を確立していくのではないかと考えた。
1970年までのモダニズムは、国や地域それぞれに違う出発点から発展したものの、住む側の快適さを目的とする機能主義的な概念を共有することによって、精神面の解放が見受けられたのに対し、大阪万博を終えた後の70年代以降の硬直化したモダニズムが、過度な教条化とモラルの押し付けにより激しく批判を受けたことを槇は振り返る。
モダニズムが建築における成熟の指針を示し、多くの建築家がそれぞれの解釈と成果物によって表現してきた様子を、槇は「大きな船」と例えた。そしてその大きな船の存在が薄くなったことで、多くの傑作建築が広い海に浮遊状態になってしまい、建築の歴史における進歩のベクトルが見失われたのだと言う。
それによりあらゆる価値観の建築が作られ、多様化の時代が訪れることになったが、前の世代から次の世代へつないでいた「バトン」の行先がはっきり見えなくなり、充実したディベートやディスカッションが少なくなってしまったと槇は語る。
しかし、多様化した建築の中でも、多くの人間の共感を呼び起こし、普遍的な人間性を探り当てようとする建築からは、「共感のヒューマニズム」を見出せるようになったのではないかと槇は考える。このような建築からは、「人間をどう考えたか」という思考の過程を読み取ることができ、槇はそのような建築こそが、簡単に消費されずに社会性を獲得し続けるのではないかと可能性を見出す。ロンドンの雑誌“The Architectural Review”は、一年に一度、若手建築家に賞を当てているが、選ばれる作品には子供に関する施設が多いという。子供のリアクションは、何が快適なのか、何に歓びを感じるのかを率直に表し、文化的背景に縛られることなく普遍性を示す。槇はここに根源的なヒューマニズムへの関心が表れているのではないかと推測する。
そして、対話集『建築から都市を、都市から建築を考える』の中で、槇はこのように述べる。
「建築は、人間と同様、遅かれ早かれ滅びるものですが、残された思考の形式は滅びません。」
その建築が姿を失ったとしても、そこに存在する人の共感を集め、普遍的なあり方を実現できたのなら、建築家の思考や望みは滅びずに残るのだ。
1993年に「建築界のノーベル賞」とも言われるプリツカー賞を受賞した、日本を代表する建築家の槇文彦。今年の6月に惜しまれつつもこの世を去ったが、晩年まで精力的に建築の設計を続け、4月には鳥取県立美術館が竣工を迎えた。
戦後のモダニズム建築を牽引してきた建築家として知られる槇だが、エッセイ『漂うモダニズム』では、数多ある母語が時間の流れとともに交わり合い一つの普遍語が形成されるように、各地の生活様式に根差した土着的な建築が、モダニズムという大きな船のようなものに乗って一つの「型」となる規範的な様式を確立していくのではないかと考えた。
1970年までのモダニズムは、国や地域それぞれに違う出発点から発展したものの、住む側の快適さを目的とする機能主義的な概念を共有することによって、精神面の解放が見受けられたのに対し、大阪万博を終えた後の70年代以降の硬直化したモダニズムが、過度な教条化とモラルの押し付けにより激しく批判を受けたことを槇は振り返る。
モダニズムが建築における成熟の指針を示し、多くの建築家がそれぞれの解釈と成果物によって表現してきた様子を、槇は「大きな船」と例えた。そしてその大きな船の存在が薄くなったことで、多くの傑作建築が広い海に浮遊状態になってしまい、建築の歴史における進歩のベクトルが見失われたのだと言う。
それによりあらゆる価値観の建築が作られ、多様化の時代が訪れることになったが、前の世代から次の世代へつないでいた「バトン」の行先がはっきり見えなくなり、充実したディベートやディスカッションが少なくなってしまったと槇は語る。
しかし、多様化した建築の中でも、多くの人間の共感を呼び起こし、普遍的な人間性を探り当てようとする建築からは、「共感のヒューマニズム」を見出せるようになったのではないかと槇は考える。このような建築からは、「人間をどう考えたか」という思考の過程を読み取ることができ、槇はそのような建築こそが、簡単に消費されずに社会性を獲得し続けるのではないかと可能性を見出す。ロンドンの雑誌“The Architectural Review”は、一年に一度、若手建築家に賞を当てているが、選ばれる作品には子供に関する施設が多いという。子供のリアクションは、何が快適なのか、何に歓びを感じるのかを率直に表し、文化的背景に縛られることなく普遍性を示す。槇はここに根源的なヒューマニズムへの関心が表れているのではないかと推測する。
そして、対話集『建築から都市を、都市から建築を考える』の中で、槇はこのように述べる。
「建築は、人間と同様、遅かれ早かれ滅びるものですが、残された思考の形式は滅びません。」
その建築が姿を失ったとしても、そこに存在する人の共感を集め、普遍的なあり方を実現できたのなら、建築家の思考や望みは滅びずに残るのだ。
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