CULTURE
坂本一成の名言「…それを 私たちは〈住んでいる〉と 言ってよいのではないか。」【本と名言365】
May 28, 2024 | Culture, Architecture | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Yoko Fujimori illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。数多くの住宅の設計を手掛け、大学で長く建築教育に携わってきた “プロフェッサーアーキテクト”、坂本一成。建築家であり、優れた研究者である氏が問い続けてきた、現代においての「住まう」こととは?
空間の内にいると同様に文化の内にいる。それを私たちは〈住んでいる〉と言ってよいのではないか。
人にとって家とは何なのか。そしてそもそも「住まう」とはどういうことなのか。あまりに身近過ぎて考えたこともないようなこの問いも、建築家にとっては建築を目指した瞬間から考察し続ける永遠のテーマである。中でもこの問いについて多くの論考を重ねているのが、建築を設計だけでなく“思考”の対象として探求し続けるプロフェッサーアーキテクト、坂本一成だろう。
その昔、家は自ら建てるものであり、「建てること」と「住むこと」は同義だった。建築家という存在が出現し、この2つの一致が失われてしまった現代だからこそ「住むことの意味」を問う必要があるのでは、と説くのだ。
「〈住まう場〉は肉体の物理的な場であるとともに、精神の抽象的な概念の場である。(中略)つまり住むことは文化の世界に属することであり、ゆえにそれを〈建てる〉ことは身体を成立させる場をつくるというだけでなく、人間が人間であり得る精神の場を成立させることになる」と。そして「空間の内にいると同様に文化の内にいる。それを私たちは〈住んでいる〉と言ってよいのではないか」と考察するのだ。
鑑賞するアートではなく、人が使うことによって初めて存在意義が確立される建築は、いうなれば人と「世界」を介在するものである。拙い表現を恐れず書くならば、一度建設したらおいそれとは壊せず、建てれば街の“景色”となってしまう巨大で寿命の長い代物であり、しかも建物単体でなく周囲の環境と合わせて相対的に評価されねばならない。これをいかにデザインすべきなのか。氏は40年をかけて自問自答する。一つ一つの論説を読み進むうち、「住まう」環境を作り続けてきた氏の作品には、タイトル通り多くの言葉と思考が内在することを改めて体感させられるのだ。
「建築の空間によって私たちを解放する自由を感じさせる場を得たいと考えてきたわけですが、それは決して主張の強い建築の空間でなく、一見分かりにくいほどの緻密な操作によって得られる場所的空間です。(中略)その場における空間あるいは形態は、単に身体を沿わせるだけでなく、精神をも沿わせます。このような沿うことによって人が枠づけられる場が、押し付けがましくなく、より柔らかく自由を感じさせる空間にならないだろうかと考えてきました」
人にとって家とは何なのか。そしてそもそも「住まう」とはどういうことなのか。あまりに身近過ぎて考えたこともないようなこの問いも、建築家にとっては建築を目指した瞬間から考察し続ける永遠のテーマである。中でもこの問いについて多くの論考を重ねているのが、建築を設計だけでなく“思考”の対象として探求し続けるプロフェッサーアーキテクト、坂本一成だろう。
その昔、家は自ら建てるものであり、「建てること」と「住むこと」は同義だった。建築家という存在が出現し、この2つの一致が失われてしまった現代だからこそ「住むことの意味」を問う必要があるのでは、と説くのだ。
「〈住まう場〉は肉体の物理的な場であるとともに、精神の抽象的な概念の場である。(中略)つまり住むことは文化の世界に属することであり、ゆえにそれを〈建てる〉ことは身体を成立させる場をつくるというだけでなく、人間が人間であり得る精神の場を成立させることになる」と。そして「空間の内にいると同様に文化の内にいる。それを私たちは〈住んでいる〉と言ってよいのではないか」と考察するのだ。
鑑賞するアートではなく、人が使うことによって初めて存在意義が確立される建築は、いうなれば人と「世界」を介在するものである。拙い表現を恐れず書くならば、一度建設したらおいそれとは壊せず、建てれば街の“景色”となってしまう巨大で寿命の長い代物であり、しかも建物単体でなく周囲の環境と合わせて相対的に評価されねばならない。これをいかにデザインすべきなのか。氏は40年をかけて自問自答する。一つ一つの論説を読み進むうち、「住まう」環境を作り続けてきた氏の作品には、タイトル通り多くの言葉と思考が内在することを改めて体感させられるのだ。
「建築の空間によって私たちを解放する自由を感じさせる場を得たいと考えてきたわけですが、それは決して主張の強い建築の空間でなく、一見分かりにくいほどの緻密な操作によって得られる場所的空間です。(中略)その場における空間あるいは形態は、単に身体を沿わせるだけでなく、精神をも沿わせます。このような沿うことによって人が枠づけられる場が、押し付けがましくなく、より柔らかく自由を感じさせる空間にならないだろうかと考えてきました」
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