CULTURE
芹沢銈介の名言「デザインとは…」【本と名言365】
May 16, 2024 | Culture, Design | casabrutus.com | photo_Yuki Sonoyama text_Mariko Uramoto illustration_Yoshifumi Takeda design_Norihiko Shimada(paper)
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。34歳という決して早くはない染色家デビューののち、常に挑戦を続け、芸術の道を拓いた芹沢銈介。彼がものづくりにおいて大切にしていたこととは。
デザインとは流動するもので、はじめから決めてかかるべきではない。
柳宗悦が起こした民藝運動に共鳴し、沖縄の染物・紅型に心を動かされ、染色家の道を進んだ芹沢銈介。日本で古くから行われていた型染をベースに自身の表現を開花させた。本来伝統的な型染は型彫り、型つけ、染めの工程が専門職によって分業で進められていたが、芹沢は自ら一貫して全て一人で行い、自身の世界観を細部にまで行き渡らせた。1956年には、「型染の特質をとらえ、伝統に基づいて絵画的な紋様を確立して特色があるもの」として独自の染色方法が「型絵染」と名付けられ、人間国宝に認定される。類稀なる色彩感覚と身近なものや目に映る風景を模様として捉える才能、伸びやかで明るい作風が掴んだ功績だった。
彼は「型絵染」についてこう語っている。
「下絵どおりに彫るのではなくて、彫りながら、さらにいろいろにかえてゆきますから、私の仕事は、最初から染め上がりがどんなになってゆくか、わからないのです。染めながらそこに何かが生まれてきているのです。同じモノを作りたくない、という気持ちがあるので、同じ型で染めるときも自由な気持ちで、そのとき、そのときに、染めたい色で染めてしまいます。(中略)つまり、絵を描くような心持で型を使う、創作的な型染ということだと思います」
その思いを象徴する言葉がある。1976年、フランス政府から招聘され、日本人で初めて〈グラン・パレ〉で個展を開催した際に「デザインとは流動するもので、初めから決めてかかるものではない」と伝えた。紅型を追いかけながら、自身の染色を追求した芹沢は、下絵の線がずれても意に解さず、紙片を切り過ぎてしまってもそれを生かして図柄を作っていたという。偶発的なことも含めて創作を自由に楽しむ姿勢が、遊びのある構図、豊かな配色、味わい深さを生み出したのだ。
柳宗悦が起こした民藝運動に共鳴し、沖縄の染物・紅型に心を動かされ、染色家の道を進んだ芹沢銈介。日本で古くから行われていた型染をベースに自身の表現を開花させた。本来伝統的な型染は型彫り、型つけ、染めの工程が専門職によって分業で進められていたが、芹沢は自ら一貫して全て一人で行い、自身の世界観を細部にまで行き渡らせた。1956年には、「型染の特質をとらえ、伝統に基づいて絵画的な紋様を確立して特色があるもの」として独自の染色方法が「型絵染」と名付けられ、人間国宝に認定される。類稀なる色彩感覚と身近なものや目に映る風景を模様として捉える才能、伸びやかで明るい作風が掴んだ功績だった。
彼は「型絵染」についてこう語っている。
「下絵どおりに彫るのではなくて、彫りながら、さらにいろいろにかえてゆきますから、私の仕事は、最初から染め上がりがどんなになってゆくか、わからないのです。染めながらそこに何かが生まれてきているのです。同じモノを作りたくない、という気持ちがあるので、同じ型で染めるときも自由な気持ちで、そのとき、そのときに、染めたい色で染めてしまいます。(中略)つまり、絵を描くような心持で型を使う、創作的な型染ということだと思います」
その思いを象徴する言葉がある。1976年、フランス政府から招聘され、日本人で初めて〈グラン・パレ〉で個展を開催した際に「デザインとは流動するもので、初めから決めてかかるものではない」と伝えた。紅型を追いかけながら、自身の染色を追求した芹沢は、下絵の線がずれても意に解さず、紙片を切り過ぎてしまってもそれを生かして図柄を作っていたという。偶発的なことも含めて創作を自由に楽しむ姿勢が、遊びのある構図、豊かな配色、味わい深さを生み出したのだ。
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